考え中

まったく公共性のない備忘録

ピアニスト

ハネケのピアニストを見た。

エリカはナイフの傷の痛みの先で、満たされなかったものを満たして生きることを選べるのか。

 

最後に演奏会があり、母親が期待と野望を語る。エリカは代理の演奏者で、自分の教え子の代理にすぎない。けれど、うまく演奏すれば誰かが聞いているかもしれないと母は言う。

エリカはそうやって育ってきた。自分のものではない生を生きてきた。なぜ強い母親の干渉の外に出られないのか自分でも分からず、40を過ぎても母と二人で暮らしていた。母親は娘の洋服を切り裂き、夜遅く帰る娘を病的に責める。娘が女性になることを阻止しているのだ。

エリカは、自分の性でありながら自分の性であると認めることができない欲望を持て余していたが、それでも自律を保つために自身の身体の欲望だけを一人で処理していた。自分の欲望を、家事をするようにてきぱきと処分する姿はかなしい。

その自律を乱したのは、若い青年の求愛だった。エリカが抑制してきた自分の中の「女性」を無視しきれず、それでも自分で管理できていたやり方をワルターに乱されないように、エリカはワルターをも管理しようとする。トイレでワルターのキスから逃げ、ワルターの上位に立とうとするエリカ。自分の欲望だけではなくワルターの欲望も支配しようとするエリカに、ワルターは抗議する。

しかし、エリカは本当はそんな自分を壊してほしいと願って、ついに彼を母親のいる家に招き入れ、嫌がる母親を締め出してワルターにその暴力的な願いを告げる。その表現は暴力的で倒錯的だったけれど、彼女の願いは、母親の一部でしかない自分を壊して救い出してくれる強い力だったはずだ。残念ながらワルターには狂気としか伝わらず、彼が去った家で、母親の一部に戻ろうとするエリカもかなしい。

エリカが望んでいたように、ワルターによって母親が部屋に閉じ込められ、本当に殴られレイプされたあと、エリカは母親の娘ではなくなった自分をどう受け止めたのか。

演奏会の朝、エリカはナイフを入れたポーチとともに会場へ向かい、壁に隠れて静かにワルターを待つ。彼女がナイフで断ち切ろうとするのは、母親なのか、ワルターなのか、自分の将来なのか。

ワルターに何事もなかったかのような挨拶をされて、エリカは自らの左肩の辺りをナイフで一突きする。エリカは教え子の代理の演奏はせず、流れる血を押さえながら演奏会場を後にする。

 

もしかしたら、あの夜のワルターの侵入は、エリカの夢だったのかもしれない。それはどちらでもいい。エリカは、絶対にワルターを好きになってはいけないと自分に言い聞かせながら、本当は生まれて初めて生きる喜びを感じている。その力に抗えるはずはないし、エリカはもう一度生まれる必要がある。再生のためのナイフであれば、苦しそうな顔をした結末のあと、良いことも悪いこともない透明な未来がスタートすることを私は願う。