考え中

まったく公共性のない備忘録

タイヤに釘(木ネジ)

交換して3か月の新しいタイヤに釘(正確には木ねじ)が刺さったのである。

このタイヤ、新品だと刺さりやすいのか疑惑(たぶん偶然)。

 

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月曜、ヘアカットにでかけた。その後、買い物にも行った。

火曜、乗車したら「左リアタイヤ」の警告が出た。空気圧低下という。

雪予報で急に寒くなった、その温度差で空気圧が低下したなら4本とも下がるはずである。1本だけって、心配だ。すでに夜でタイヤの点検もできないので、一晩寝かせた。

水曜、タイヤを確認したけれど、何も刺さっていない様子である。

朝一番でディーラーへ。すぐに見てくれた。

しばらくすると「釘が刺さってます」と。釘が内側から、斜めに入っている写真を見せてくれた。ひー。

応急修理をしてくれて、タイヤ交換を言い渡された。「この位置は修理ができないんです」とのこと。

 

タイヤの穴は修理可能か不可能か

タイヤの釘穴は、修理可能・不可能な部分があるという。

路面への接地面(溝が入っている部分)なら修理可能、側面など溝のない部分は修理不可能であるという。しかも、今回は接地面と側面の境目の平らではない部分の損傷であるため、できるだけ早くタイヤ交換をすべし、という話である。にゃ~

 

いくつかの謎

そもそも、タイヤに釘などが刺さる確率ってどのぐらいなんだろうか。

2019年1月に、このタイヤで乗り始めたが、釘がこんなに刺さるのは初めての経験だ。

タイヤが古くなってツルツルになると、釘が刺さるリスクが高まるというが、逆の傾向だ。

タイヤは、前輪のほうが釘刺さりリスクが高いという。2019年は2回とも右前のタイヤだった。しかし今回は左リアタイヤで、真逆である。

そして、内側から斜めに釘が刺さるなど、非常に稀なのではないか。

サイドミラーにかすり傷

胃腸の弱さを嘆きながら出勤した昨日。

勤務先に到着する直前に「パコッ」という音がした。音の方を見るとサイドミラーが閉じている。ああ、電柱にかすったのだ。

自分がこわい。

 

勤務先駐車場に止めてから様子を見ると2センチぐらいのかすり傷で済んでいる。

 

その後、勤務先の鍵を開けて入る部屋に入ろうとしたら、キーホルダーとして使っている岩津天満宮の牛が取れていた。

 

いろいろと不吉だ(胃をさすりながら)。

胃炎か逆流性食道炎だ

2017年の新年明けて胃が痛いというようなことを書いた。

あれから7年も経過したのかというのも驚くが、久しぶりに胃が痛い。

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このときは胃カメラで検査するまで進んだが、一時的なものだと言われた。

 

それ以来、労りながらの食生活ではあるが、胃腸薬を常時服用するようなことにはなっいない。

 

それが、この年末から年始にかけて文字通り胃が痛いことがいろいろ起こって疲労してしまい、それが胃にも伝わってしまったようである。

 

蓄積する疲れに上乗せするように、今週は土曜に休めない仕事があった。にもかかわらず前日の金曜日に喉の調子に疑問が出て、急遽薬局で喉に直接吹きかけるスプレーをかけて初期消火(初期炎症消化というか延焼消化というか)に務めるなどに続き、土曜の当日にめまいが収まらず、つらい勤務日になった。

そういうのが全部、胃の方へチクられていくのかもしれない。

 

それでも松の内は、調子は低めながら安定していた。

お菓子も楽しんだ。

 

きれいな模様の羊羹は、両口屋是清の干支羊羹「辰」。

 

会話を哲学する

会話を哲学する 三木那由他 | 光文社新書 | 光文社

 

Kindleセールで半額だったのだが、これを買ったのは失敗だった。

半額でも、こんなに買って損したと思った本はめずらしい。

 

哲学分野とはいえ、言語哲学の先行研究の扱いが悪い。先学との議論もなく、それらの研究を超えてもいない。

 

漫画研究としても浅い。

帯に「うる星やつら」を見せるなどしている出版社も悪い。

 

それと、なによりも、文体がひどくて読もうにも、読めない。

教養としての建築入門

坂牛卓『教養としての建築入門』は、中公新書の入門書である。

www.chuko.co.jp

新書の入門書は、ある程度の専門知識も必要という場合も多く、最後まで読めない本もあるが、これは違う。ほんとうに「教養として」読める。

序章 建築の歴史
第1部 観賞論―建築の見方(機能の器;美の器;アナロジー
第2部 設計論―建築の作り方(建築の設計とは何か;頭の中で考える;スケッチや模型で考える;実物を見て考える;建築家という職業)
第3部 社会論―建築の活かし方(世相が建築に映る;人や社会が建築を変える;政治と経済が利用する)
終章 建築の基礎

 

とくに、第1部の建築の見方をアナロジーで展開するところが鑑賞専門の人にも役立つし、読み物として面白い。

弔電

昨日のこと、突然の訃報に驚くということがあった。

闘病初期にはよく連絡を頂いていたが、最近は音信不通になってしまっていた。個人的にお世話になったし、つらいことを一緒に乗り越えた時期もあったし、思い出深い。お悔やみは伝えたいので弔電を入れようと思い、葬儀社の情報を関係先に聞くなどして今日になって判明した。

 

次に弔電の入れ方を検索した。

 

最後に電報を打ったのはいつだろう。

たぶん、勤務先の人の結婚式の祝電を連名で出したのが最後だ。電話でメッセージ内容を伝えた記憶がある。それから30年は経っている。

弔電を受け取ったこともある。

時期は同じ頃、父の葬式のときにたくさん受け取って、その後、その事務処理に時間をかけた記憶がある。

 

今どき、弔電をどうやって入れるのか知らない。

昔の記憶からNTTかなと思って調べたら、まずは5000~8000円ほどの高級電報の台紙(押し花とか漆とか)から選べというページが出てきた。そんなお金、お香典にしたほうがいいじゃん(香典は辞退となっているが)。

 

ネット上には同じことを言っている人がたくさんいて、「豪華な外装にお金をかけても、受け取ったときに中身しか見てない」という。たしかにそうだった。

 

そんななか、レタックスが安いという情報を見つけた。郵便局だ。

 

で、ここから、過酷な「郵便局から弔電チャレンジ」が始まる。

リンクはしないが、Webレタックスというページからチャレンジが始まる。

作成までのUIの出来が悪くて、かなり手間取ったのだ。

 

まず、おおよそでいいから金額の幅を知りたいので、ログインなどせずに試しに文面を作ってみて、と思ったが、それができなかった。自分の個人情報からクレジットカード情報まですべて入力してから、どんなものがいくらぐらいで送れるのか、やっと分かる。

 

3回目ぐらいのチャレンジでなんとか達成間近になり「確認画面」が出た。

その確認画面のサイズが私のノートパソコンのサイズより大きくて、サイズが自動で変わらない。送信ボタンか決定ボタンか、そんなようなボタンがどこにもない(というか、画面外にあることに後で気がついた)。

今どき、そんなUI・・・ry

 

で、なんとか画面縮小してボタンを表示して住所入力にたどり着いた。

小一時間はかかったように思う。

 

ただ、NTTの豪華電報の10分の1ぐらいの金額でお悔やみの気持ちを送ることができてよかった。

 

<追記>

翌朝落ち着いて検索をしたら、NTTでも1000円以下で送れる電報があるにはあった。その他、同様のWebサービスはたくさんあることも分かった。

 

郵便局の「Webレタックス」というサービスは、それが電報的なものかどうかすら一種電判断できなくて困った。

 

レタックスのいいところは、便利な文例集で定型文から選んでもいいという選択肢があることだった。それを使って少し調整した文章を作ることもできる。他でもあるのかした。

それをいろいろなフォントで試すこともできる。見た目の確認画面もある。フォントサイズも指定できる。ただし、思ったようなレイアウトにはなかなかならなかった。

Chrome拡張機能「その本、図書館にあります。」

Chrome拡張機能として重宝していた「その本、図書館にあります。」であるが、Amazonのデザイン刷新以降使えなくなった。

 

「その本、図書館にあります。」とは;

近くの図書館を登録するとAmazonのページで本が図書館に置いてあるかや貸出状態などが分かります。

という拡張アプリである。近所の本屋を2つまで登録できる。できれば10個ぐらい登録したいが、2つでも重宝していた。

 

それがここ数ヶ月使えていない。

図書館のOPACって、図書館HPのどこから入るのか決まっていないので、まずはトプページ、次にOPAC入り口探しと、少し手間取る。そのショートカットとして優れているのである。

 

AmazonChromeが改定するたびに、開発主さんが追っかけ改修し続けてくれていたので、あまり文句は言えない。

 

ちなみに、iPhoneのアプリで「図書館日和」やその他図書の検索アプリがあるけれど、どれも手順が多くて一発で探せない。

世にもあいまいなことばの秘密

川添愛『世にもあいまいなことばの秘密」、年末に出版されたちくまプリマー新書である。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

実例豊富なことばの一般書であるが、基盤には言語理論がある。「あいまい」も術語であるが、一般語でもあるので「あいまい」かもしれない。

 

かなりの分量の用例を、整理して丁寧に説明している。人に説明するときに役立ちそうだ。

たゆたえども沈まず

積読解消。

原田マハ「たゆたえども沈まず」。ゴッホと弟のテオの不思議な因果を、架空の日本人の観点から描いた創作史話的作品である。

 

www.gentosha.co.jp

読み始めては挫折し、放置されていた。

正月休みになんとか読んだ、ちょっと苦しかった。

 

ゴッホはテオに山程手紙を送っていたのを、テオの妻が公開し、書籍化されてもいるので、わりと事実が分かっている画家である。ただ、自殺の謎はいまでも云々されていて、自殺か他殺か、猟銃だったかリボルバーだったのかなど謎のままである。

その謎は、研究や議論だけでなく、多くの創作を生み出している。

この本もそういう創作のひとつである。

 

伴う謎には、テオがなぜ渾身的に兄を支えたのかというものがある。

この本でも、テオが画家としての兄を通して自己実現を果たすような精神像が描かれている。この創作における解釈の域ではあろうが、テオだけではなく夫婦揃ってゴッホを支えているし、第一子にフィンセントという名前を継いでいるなど*1、テオから兄ゴッホへの敬愛の情は深いと見る証拠はけっこうある。一方で、当初は公開されてなかった情報による修正的な研究も行われている。

 

実在人物としては林忠正も登場する。19世紀のパリを拠点にジャポニズムの中心にいた画商である。当時の日本は西洋化に熱心だったので、古新聞のような扱いの浮世絵をヨーロッパで売りさばいた。

経営者的な側面が強調されるが、美術を見る目があったという再評価が進んでいる。浮世絵についてのフランス語の執筆もある。

林は、パリでもバカにされていた頃の印象派が徐々に認知されるようになり、新たなムーブメントになるが、それでも国(フランス国家)に買い上げられる時代はまだ先という時期、日本に印象派を根付かせようとした人でもある。

物語としては、この林の再評価的な側面を描いており、売れない画家ゴッホの才能を見抜き、作品の理解者として陰ながら支援しようとする役どころである。

 

ストーリーとしては終盤に自殺の場面になるわけだが、この本の創作ではテオの人生におけるイベントと兄の浮き沈みとを関連付けているので、やはり「どうしてもこういう話になるわね」という展開になっている。

 

読むときにはゴッホの略歴、オランダ時代、パリ時代、アルル時代、サンレミ時代、オーヴェル時代などいつどこへ引っ越して、誰と一緒に生活していたのか、あるいは療養していたのかなどを知っているといいし、作品も「あの絵ね」と浮かぶといい。どの絵をどこで描いたのかなどをある程度知っておくとなお良い。

 

以上のように、事実関係と創作はあくまでも分けつつ楽しむタイプの本であるが、難点もある。つきまとう朝ドラ感である。

たぶん人情的な流れ、有名人の一生を追う展開など、朝ドラ的要素はストーリー設定にもあるが、なによりも日本語の文体が朝ドラそのものなのが効いているのだ。

特に、テオがゴッホ(フィンセント)のことを「兄さん」と呼ぶのが、なんとも。

そもそも、テオだって名字は「ファン・ゴッホ」だし、「ゴッホ」で慣用化している日本で、この兄弟を小説化するときに画家フィンセント・ファン・ゴッホをフィンセントと呼ぶかどうか、非常に難しい。日本ではファーストネームを呼び合う習慣も薄い。

 

細かいことを書き出すときりがないけれど、ゴッホが大衆化され現代日本で娯楽作品として多くの人に読まれることは、ゴッホの観点から見ても悪くないことだと思う。さらには絵画そのものへの関心や、ゴッホ関連のあふれる情報へのとっかかりとなるとなおよい。

 

*1:テオを父の名を受け継ぐなど文化的な面もあるが。

動物たちは何をしゃべっているのか?

シジュウカラのことばを研究している鈴木氏と、世界的なゴリラ研究者で京大総長の山極氏が、動物のコミュニケーションと人間のことばとを地続きに考察する対談である。

 

www.shueisha.co.jp

動物が言語を理解できるかどうかという問いは長らく研究されているが、どうも「人間と同じように」「人間のことばを」理解できるかのような、人間基準の発想になってしまう。その枠組み自体をいったん解体し、環境、進化、社会、運動能力、認知などの観点から人間も相対化して生物のコミュニケーションの道筋を立てていく考察方法である。

 

環境を知覚するにしても、視覚優位、嗅覚優位など、動物によって世界観は異なるし、運動能力についても、飛ぶ、地面を歩くなど、生物としてのサイズや群れの大きさ、様々な側面がコミュニケーションのあり方を多様なものにする。

 

データから合理的な推論を重ねて出したストーリーを、さらに対談で練って調整していく様子も分かり、科学に欠かせない人文知を印象付けている。

ことば、身体、学び「できるようになる」とはどういうことか

4冊同時に読み進めているうちの2冊め、今日読み終えた。

元オリンピック陸上選手の為末大言語心理学者の今井むつみによる対談である。

https://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594095796

 

 

 

身体を使えるようにするとはどういうことか、言語が果たす効果や言語技術はいかに身体化されるべきなのか。人間の認知についての研究の今後とその応用を見通せるような内容だった。

 

その環境において、自らの身体を、最適で最高の動きを目指して調整していくことと、その意識化(反省的な意識)、その維持、そして修正すること、それぞれの段階で既習得の技にとらわれないこと、その難しさなどを語り合っている。

 

さらに全体に「記号接地問題」という観点が貫かれている。

記号の接地とは、記号が身体化されることで、生きたコミュニケーションには必須である。人工知能(AI)では、記号がまるで接地しているかのように処理されるが、実際には身体を持たないため身体や経験に接地はしない。

スポーツの指導において、他者の認知と身体の使い方とを自分のそれと同様に導くときに、言語が音や形として伝わり、それがAIのように表層的に処理されるのではなく、「接地(グラウンディング)」、つまり、記号である言語への理解が身体性を伴う必要がある。

スポーツに限らない。学校教育も記号接地を意識したカリキュラムであるべきだ。

 

今井むつみ氏は、オノマトペ研究者の秋田喜実氏との共著『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』 でも、言語のアイコン性から身体と言語に迫っている。

www.chuko.co.jp

 

専門書もある。

岩波講座 コミュニケーションの認知科学 1
言語と身体性

指先から旅をする

 

 

 

books.bunshun.jp

 

久しぶりに一般書的なものを読んだ。

藤田真央の旅先での演奏を雑誌に綴ったものの書籍化である。

他人の旅日誌は面白いのだが、ピアニストの旅は演奏旅行なので、どんな気持ちで演奏しているのか、演奏者からはどんな風に聞こえているのか、観客と逆方向から見える景色を分けてもらえる。

 

大掃除で疲れた体をソファに横たえて、Mozart:The Complete Oiano Sonatasを聞きながら読むといい。

 

 

ステンレスマグ

早くも水筒が届いた。消えたタフマグ水筒はまだ行方知れずのままである。

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象印マホービンのステンレスマグというのを買ったが、消えた水筒も象印で、タフマグという。蓋のところの構造が複雑で、洗うときに分解掃除みたいになる製品である。ゴムパッキンを買い替えて延命していたが、ゴムパッキン以外の本体はまさに”タフ”。

 

10年以上経過し、新製品はフタの構造が単純化されて洗いやすくなった。その分、もしかしたら交換できずに買い替えとなるのかもしれないが、使ってみないと分からない。(蓋部分まるごと交換らしい)。

 

連日の大掃除で水筒を持って出かける用事はないが、新年に使うのが楽しみである。

年賀状を出すか出さないか

年賀状の買いそびれが続き、まだ買っていなかった。

今日こそと思って寄った近所のコンビニで「売り切れてしまって」と言われて驚いた。年賀状って常に余っているものかという認識だった。

インクジェット以外ならあるんですけどということだったので、皆さん、インクジェット白を買って、ちゃんとオリジナル年賀状を作成するってことでしょうか。

 

仕方がないので郵便局へ行こうと車に乗って向かっていたら、郵便局最寄りのコンビニで年賀状ののぼりが上がっていたので、ワンチャン入って聞いてみた。

すると「ありますよ」ということで、ほっとする。

 

そのコンビニでの謎の一幕。

なぜかコンビニのおばちゃんが「ディズニーの年賀状もありますよ」と勧めるてくるのだ。そんなのは要らないので「いや、普通のインクジェットで」と答える。

しかし、インクジェットを出してくれたあとも「この切手プリント部分がディズニーなのやつだけど、それじゃなくていい?」と、さらに押しのセールスをしてくる。

「ディズニーは要らないです」と笑顔で断り、なんとか無事にインクジェット版を買ってきた。切手プリント部分にタツノオトシゴが向き合っていてかわいらしい。

 

帰り、郵便局前の路上が渋滞している。どうやら車を止められないほど混んでいるようだ。これは、おばちゃんとディズニー話が付いてきてもコンビニで買ったのは正解だったわと思いながら、後ろから割り込んでくる変なベンツを交わしながら帰宅した。

 

早速印刷して、すぐにポストへ投函して、年賀状作業をやっつけた。

誰に出すかというより、誰に出さないかという選択が難しい。