考え中

まったく公共性のない備忘録

円山応挙展

後ろに下がって全体をみるべし、応挙展。

愛知県美術館ではじまった円山応挙展。なかなか公開されない作品も集まって、見どころばっかりの展覧会になっていた。会期後半に混んでくるだろうし、そうなると行きたくなくなるので、早めに、しかも朝一番で行っておくことにした。それでも、思ったより混んでいたが、後ろに下がって眺めることが十分にできる程度だった。

同時代の個性的な画家に比べると平易で大衆的な表現をする画家かと思っていたが、まったくの誤解だった。むしろ時代の限界にとらわれずに絵による表現を追求した人だった。風景、人間、動物、なんでも描くし、プロダクティブな画家で、作品数も多いという。表現技術も多様だ。立体感や、臨場感など、印象派の思想に近いというか、印象派が応挙に近いのか。

表現が多様な画家にはありがちなことだが、発想が豊かなところも見逃せない。構図も技法も表現力も、どうすれば表現できるのかという追求から生じるものだろう。だから絵を見ると一種の驚きがある。その驚きは、奇をてらったものを見るときの驚きではなく、気が付かなかった本質に気づく感嘆の方の驚きである。

楽しみだったのは、照明を切り替えて自然光の変化を作り、建具もそのままに再現した大乗寺の襖絵。角度を利用して向きあうように配置した応挙の意図が分かるように部屋を再現したという解説がある。孔雀の庭の松の木は実物大だとか。庭の松との一体感を演出したのだろうか。

しかし圧倒感では、三井記念美術館像の「雪松図屏風」。松の様子も大胆で、金色の空気の動きもダイナミックに表現されているし、地面なくて視点が上からなので雲間のような浮遊感もある。

ちょっと戻るが、最初は「眼鏡絵」という遠近法を取り入れた一連の絵の展示がある。細かいところまで書き入れられていて、ユーモラスなものだ。日本の名所を描いたものも、活き活きとした人々が描き込まれていて、隅々まで楽しめる。六曲をパノラマ風に展示した雨竹風竹図屏風は、臨場感が良かった。鯉が滝を登るように見える絵はネタバレになる(笑)ので書かない。台風の空気感や、鴨、鶏、孔雀、子犬など、動きの描写も飽きずに見られる。応挙のではない参考作品もはさみながら展示しているが、子犬のところには芦雪もあって、比べられる。

波上白骨坐禅図というすごく印象的な骸骨の絵がある。波の上で骸骨が坐禅を組んでいる。光るような白い骨、白い波がモノトーンなのに目立つ。なんというか、黒で描いてるのに白い。骸骨については、淡々と迷いのない筆で描かれていて、理解はできないけれど、衝撃は大きい。

記念講演会は、すでに締め切りだった。「正統派の逆襲」と「空(くう)を描く」どちらも、うまいこと言うなと観覧のあとに思う。