考え中

まったく公共性のない備忘録

バベットの晩餐会

アマゾン・プライムにデジタル・リマスター版が出た。最初の公開は1987年だったらしい。そんなに前だったか。当時、映画を見たあとに読んだディネ―センの原作と呼ばれる物語は短く、映画版の表現力の高さが際立つ。

芸術という形の喜び、生まれ持った力を使える喜び、人に与える喜び、受け取る喜び、その授受が相互に通じ合う瞬間の喜び、人が感じる虚しさと喜びをこんなふうに描くことができるのかと、その表現に目を開かれる。ハレルヤ!

デンマークの海辺の、低い屋根の家がポツポツとならぶ、陽光の乏しい村に美しい姉妹がいた。父親はルター派の牧師で、その地で尊敬される人物である。姉妹は若い男性の目を引きつけたが、中でも2人の男性の人生は姉妹の存在に大きな影響を受ける。姉に求愛して叶わなかった若い将校は、物語の最後には将軍に出世していて、晩餐会で料理の価値を視聴者に伝える客人として戻ってくる。妹への求愛者である人気オペラ歌手パパンは、その後バベットと姉妹を引き合わせることになった。バベットはパリ=コミューンの弾圧から逃れてこのユトランド半島の寒村にいわば亡命者として逃れてくるが、そのときにパパンが姉妹宛てに紹介状を書いていた。

昔は気が付かなかった曲目選択の妙や、パリの文化や史実との兼ね合いに今回はじめて気がついた。パパンがフィリパの歌唱指導で使っていた曲はなんとドン・ジョヴァンニだ。これは笑う場面だったんか。フィリパのオペラ座デビューは実現しなかったが、デュエットシーンは劇中劇と見ても良い。美しい。それと、パリから来る人達はおそらくカトリック信仰だ。それも、読み解くための手がかりになるかもしれない。

 

映画は、後半のほとんどを費やして、バベットの料理の進行と食堂での食事会のシーンを丁寧に見せる。単なる料理と食事ではない。人生の喜びが、荒廃した心を徐々に満たす、その動きを描いている。食堂には12人参加していて、台所に1人(将軍の馬車の御者)いる。

食事が進むにつれ、言葉ではなく(料理の話は訳あって禁じられている)ワインを分かち合い、人々は過去を許し合う。将軍は帰り際、遠く離れていた初恋の人と、長い間、常に心でつながっていたことを知る。

後日、バベットから晩餐の食材に1万フラン全額を使ったこと、だからパリには戻らないことを知らされた姉妹は驚き、そしてバベットに心からの敬意のことばと抱擁をおくる。