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まったく公共性のない備忘録

M.C. Escher - Het oneindige zoeken

エッシャー 視覚の魔術師」という邦題。

M.C. Escher - Het oneindige zoekenはオランダ語とのこと、「MCエッシャー*1、無限の探究」のような意味である。

 

監督はオランダ、内容は英語とオランダ語インタビューで構成されている。内容は、伝記映画と言える。

Stephen Fryが「ナレーション」となっているが、単なるナレーションではなかった。エッシャー自身が人生を振り返り、独白するようなその声を担当している。英語ではあるものの、これがこの映画の見どころ(聞きどころ)の一つである。

息子やその配偶者ら家族が父を回想するインタビュー部分はオランダ語である。

画家の伝記物は変人・狂人に描きすぎている映画作品が多いけれど、そういう「画家伝記映画の類型」という観点を適用していいなら、これは好感の持てる見やすい作りになっている。

 

エッシャーは、だまし絵で有名なんて言われる。ずっと登り続ける階段に見入った過去を思い出す。この映画では、エッシャー表現者として追求した「無限」や「視覚」をエッシャーに寄り添って掘り下げている。それがこの映画が素晴らしいと言える要因である。

 

有限の紙面に無限を描く。正規分割、テッセレーション(敷き詰め)、不可能図形(ペンローズの三角など)、メタモルフォーゼ(変形)など、エッシャーは物理学的な課題を視覚的に表現することに全力を注いでいる。画面は装飾的になることもあるがデザインを目指しているわけではないし、物理学の探究というのでもない(作品によっては結果的にそうなっているかもしれない)。例えば球面に映る自画像、その周辺部は球に映ることでエンドレスに表現できる。無限そのものの追求というよりも、無限を表現することの追求に見える。それは「芸術なのか、科学なのか」「画家ではないのかもしれない」など、エッシャーの独白に引き込まれる。

 

人生もいろいろあったようだ。実家が太くて半生は両親の財産で生活できたそうだが、途中で戦争もあり、子供を食べさせることもできないような時期があり、愛する奥さんは心を病む。それが、タイムマガジンの取材以降、一転して売れっ子となり(望む形の売れ方ではなかったようだが)、生活は好転した。

しかし、「だまし絵」として楽しまれたとしても、エッシャーの探究への理解を得たとは言えず、孤独は一層募ってしまったようだ。大腸の致命的な病気にもなる。心身への負荷が重くなっても変わらずに、より高い表現を求めて作品を作り一生を終える。

今は世界のあちこちに作品が収蔵されている。

 

 

 

*1:その場合「エッセル」の方がいいか?