関節炎になり、テ―ピングしている。因果関係は分かっていないけれど、糖質と珈琲を少し辞めてみることになり、精神的にはピンチである。
ピンチである!
関節炎になり、テ―ピングしている。因果関係は分かっていないけれど、糖質と珈琲を少し辞めてみることになり、精神的にはピンチである。
ピンチである!
ふすまのパンは冷凍庫に眠らせたまま、連日甘味を楽しんでいる。特に宮崎産マンゴーのタルトはマンゴーがすばらしく、オレンジのショートケーキは愛媛産のオレンジがすばらしかった。
例の病は薬で安定していて、薬の副作用の体重増加も緩和されてきた。
6月に3ヶ月ぶりに血液検査をしたところ、調子はいいけど劇的に改善もしていないという状況だった。つまり薬有りで現状維持が続いている。
薬は少し減ったけれど、また10月まで様子を見る日々が続く。
何も考えずにゆっくり休むといいのだろうが、昨日まで週末の出張で東京にいたし、その間も連絡のメッセージが途絶えない。こうやって10年ぐらいあっという間に過ぎ去るのだろうか。
デンマーク、20世紀初頭、性同一障害の男性リリー・エルベが世界で初めて性適合手術を受けて女性になろうとする話であるが、エディ・レッドメインが女装したり、ベン・ウィショーとキスしたりする映画ってところに、これでいいんだろうかと思ってしまう部分もある。
それでも、リリーの苦悩や性適合に至る心の動きが大変に分かりやすく描かれているし、彼を支えた妻のゲルダも、ハリウッド女優じゃなくてよかった。
ハネケのピアニストを見た。
エリカはナイフの傷の痛みの先で、満たされなかったものを満たして生きることを選べるのか。
最後に演奏会があり、母親が期待と野望を語る。エリカは代理の演奏者で、自分の教え子の代理にすぎない。けれど、うまく演奏すれば誰かが聞いているかもしれないと母は言う。
エリカはそうやって育ってきた。自分のものではない生を生きてきた。なぜ強い母親の干渉の外に出られないのか自分でも分からず、40を過ぎても母と二人で暮らしていた。母親は娘の洋服を切り裂き、夜遅く帰る娘を病的に責める。娘が女性になることを阻止しているのだ。
エリカは、自分の性でありながら自分の性であると認めることができない欲望を持て余していたが、それでも自律を保つために自身の身体の欲望だけを一人で処理していた。自分の欲望を、家事をするようにてきぱきと処分する姿はかなしい。
その自律を乱したのは、若い青年の求愛だった。エリカが抑制してきた自分の中の「女性」を無視しきれず、それでも自分で管理できていたやり方をワルターに乱されないように、エリカはワルターをも管理しようとする。トイレでワルターのキスから逃げ、ワルターの上位に立とうとするエリカ。自分の欲望だけではなくワルターの欲望も支配しようとするエリカに、ワルターは抗議する。
しかし、エリカは本当はそんな自分を壊してほしいと願って、ついに彼を母親のいる家に招き入れ、嫌がる母親を締め出してワルターにその暴力的な願いを告げる。その表現は暴力的で倒錯的だったけれど、彼女の願いは、母親の一部でしかない自分を壊して救い出してくれる強い力だったはずだ。残念ながらワルターには狂気としか伝わらず、彼が去った家で、母親の一部に戻ろうとするエリカもかなしい。
エリカが望んでいたように、ワルターによって母親が部屋に閉じ込められ、本当に殴られレイプされたあと、エリカは母親の娘ではなくなった自分をどう受け止めたのか。
演奏会の朝、エリカはナイフを入れたポーチとともに会場へ向かい、壁に隠れて静かにワルターを待つ。彼女がナイフで断ち切ろうとするのは、母親なのか、ワルターなのか、自分の将来なのか。
ワルターに何事もなかったかのような挨拶をされて、エリカは自らの左肩の辺りをナイフで一突きする。エリカは教え子の代理の演奏はせず、流れる血を押さえながら演奏会場を後にする。
もしかしたら、あの夜のワルターの侵入は、エリカの夢だったのかもしれない。それはどちらでもいい。エリカは、絶対にワルターを好きになってはいけないと自分に言い聞かせながら、本当は生まれて初めて生きる喜びを感じている。その力に抗えるはずはないし、エリカはもう一度生まれる必要がある。再生のためのナイフであれば、苦しそうな顔をした結末のあと、良いことも悪いこともない透明な未来がスタートすることを私は願う。
所用で東京に来ている。
昨年、いろいろな園芸上の不備があり、結局1つしか咲かなかったハゴロモジャスミン。今年は、少しだけ盛り返して、結局4~5房ぐらいはつぼみがついている。
これまで少し高いところに置いて垂れるがままにしてあった鉢を下に降ろし、垂れていたツルを持ち上げて竹の棒に巻き付けた。棒は6本立てた。
花の香りが待ち遠しい。
最近、レジに一列に並ぶための誘導柵を見かけるけれど、どちらが入り口でどちらが出口か判ったためしがない。たいてい出口から入って「あっ」という顔をして、反対側へ回り込み、その間に前にひとり並ぶ人が入り、……というような展開が毎回ある。
立て看板が立っていて「出口」など書いてあるけれど、その向きが一方向で近寄らないと読めないときている。
これを妙案で解決するのが夢です。
仕事先にVAIOを持っていって、ACアダプタを忘れてパソコン本体だけ持ち帰った。翌日気がついた。
夕方頃、そこのオフィスにメールを入れたら、さらに翌日「探したけどなかった」という返事が来た。
さらにさらに翌日「探してくれてありがとうanyway」という返事を送った。
虚しく、VAIOの充電は抜けていくにまかせ、1週間が過ぎた。
VAIOを見殺しにするわけにも行かないので、今日、SonyのオンラインストアでACアダプタを注文してやった。高かった。VAIOのストアじゃないのかって?Sonyでも売ってるんだよ。Sonyだと、My Sony Accountだかを持っていると送料無料なのさ。
明日、その仕事先を再訪するので、万が一その忘れ物のACアダプタが出てきたら、2本のACアダプタを持つマンになる。
追記:結局ACアダプタは出てこなかった。忽然と消えたACアダプタ。今どこで何をしているのかACアダプタ。注文した新品が届いたので、充電している。去る者追わずだ。ふーんだ。
同僚からフライベッカーサヤというドイツパンの店を紹介された。
小麦粉が挽きたてとか、ドイツで修行したとかの情報を聞いて、ぜひ行こうと思っていた矢先、ここのパンをもらう機会があった。
ドイツパンの良さは噛んだときに分かる。その魅力はズッシリした重み、ライ麦はじめ豊富な粉の種類、ギッシリの中身、チーズに合うこと、それから、低カロリーで胃に優しいこと。
食べやすいのはナッツやフルーツのピール、ドライフルーツなどが入っているタイプだけれど、黒くて四角くて重いのを3日ぐらい寝かせて、うすーく切って赤牛の絵が描いてあるクリームチーズを塗って食べるのも吉。
出張マンです。
朝早めに家を出て、出張先に行く前に日本橋で遊んでみた。
まず、丸善で物欲が爆発してペンギン・ブックスのトートバッグをたくさん買い、さらにBRITISH GREENの財布も買い、この上、万年筆も買いそうになりながらなんとか見るだけにとどめて、ハヤシライス(早矢仕ね)を食べた。紳士の本屋だね、ここは。
さらに重要文化財タカシマヤで、ここでもフルラのかばんを買いそうになりながら、なんとか踏みとどまって、ダーマトグラフのキャップ候補と万年筆用のインクを購入。
仕事も終わり、吉祥寺の駅で夕飯を買おうと思ってフラフラしたら、アトレ吉祥寺の中に入り込んだ。アトレがおしゃれすぎてクラクラした。午前中見た高島屋の地下食品売り場が完全によそ行きの古き良き「百貨店」なら、アトレ吉祥寺はパリ郊外の朝市かニューヨークの上質健康志向カフェのようなあざとい”日常”が演出されている。
東京の物価は総じて高い。先日某海外の都市で物価がちょい高だと思ったのは、自分の地元と比較してしまっていたからで、東京と比べたら恐い都市なんてないということだ。