not yet fixed

まったく公共性のない備忘録

Delete my account

世間では個人情報の漏洩・流出が盛んで、今後も増えそうな予感がある。

パスワード管理は色んな意味で厳しい。

自分がアカウントを持っているサービスの管理も難しくなってきた。

気がついたところから、使っていないアカウントを削除・整理しているが追いつかない。

 

日本語のアカウントばかり気にしていたけれど、英語圏サービスのアカウントもけっこうあった。そのひとつ、新聞サイトのアカウントは、どのぐらい持っているが自分でも分からない。とりあえず、The Independent紙のニュースサイトのアカウントを削除しようと、削除方法を探した。すると自然には削除できず、ここにメールしろという説明があった。

 

機械的にアカウント削除をするのかと思って、1行だけ「アカウント削除して」ぐらいのメッセージを送ると、数日後に返事が来た。それが、手動だ。人が書いていると思われる。AIですらないような文面だ。

選択肢が3つあり、「サブスク停止」「ニュース配信の停止」「アカウントの完全削除」のどれなのか、明らかにせよという。しかもそのメールに返信せよという。

 

アカウント、作るのは簡単だけど消すのは大変という時代も終わりかけていると思っていたら、まだまだ生きているようだ。

 

ついでに仕事資料関係のアカウントも消そうと思い、ログインしようとしたけれどパスワードが分からない。PWリセットを申請して”deleteaccount"というふざけた臨時PWを設定してやった。それで削除依頼を、こちらはボタンひとつクリックするだけだった。

 

別件だが、イープラスのサービスを使わないのでアカウントを削除して退会完了したのが今年の5月だった。いいタイミングだった。

探訪先変更 蒲郡へ

京都に行こうか昨夜から迷っていた。しかも帰りについでに近江八幡の行きそびれ名所も寄って、と欲張っていた。結局、朝はやることがあって出かけるタイミングを逃した。代わりに、午後になって蒲郡まで行ってきた。

蒲郡にはすこし前に行った。そのときに行きそびれたところを再訪したいとは思っていた。それが少しではなく5年前と分かり、あっという間に5年がすぎることにショックを受けた。

 

mihalita.hatenablog.com

 

その5年前に満喫した竹島のことは以前のエントリーに書いた。

今日は、竹島には渡らず、三河湾を展望できる小高いところに行った。

 

 

そこには、3年前に国の登録有形文化財になった蒲郡クラシックホテルがある。

ホテルは宿泊はもちろん、ウェデイング、レストラン、カフェ&バーなどを営業していて、本館2階のカフェから写真のような景色が望める。「蒲郡ホテル」としての創業は1934年、昭和初期である。前身の料理旅館「常磐館」は1912年だから明治である。その後オーナーも名称も少しづつ変わり、いろいろあって現在に至る。いろいろありすぎるので詳細は公式ページで。

gamagori-classic-hotel.com

 

本館はお城っぽい。不相城趾にホテルが建設された由、眺めの良い城郭だったに違いない。

内部は打って変わってアール・ヌーボースタイルである。今年のはじめにグランドリニューアルして、全ては新しく見える。ちょうどウェディングらしきカップルと親族の人々の賑やかな撮影が行われていたので、混じらないように気をつけて2階のカフェへ。

 

2階は吹き抜けで、ぐるりの回廊のようになっていて、店内、回廊の窓際、バルコニーにも席があり、好きな場所で飲食できる。

 

バルコニーの内側の席。日差しはけっこう強く、ロールカーテンを半分おろしてくれた。

 

今日は海岸も竹島に渡る橋にも人が少なく、カフェもゆっくりできた。夜は宿泊客がお酒を飲めるバーになるという。

 

竹島の方へ橋を渡ろうとしたけれど、あまりの強風に途中で戻ってきた。海沿いをぶらぶらして、常磐館の跡地にある「海辺の文学記念館」に行った。その作品にこの地の様子を描写をしている作家と作品を紹介している。錚々たる文豪たちである。

 

 

旧ホテルの十二支透かし彫りという欄間のようなもの(何なのか不明な3つの楕円の細工)や食器、その他ゆかりの品々も展示されている。ホテルやその関連文化の資料館でもある。透かし彫りの見事さを眺め、贅を尽くしたであろうホテル建築を偲んだ。

 

さて、帰宅して夜にニュースを見たら京都駅で人々が足止めされ、琵琶湖線が事故で止まっているなど言っているので、京都にも近江八幡にも行けなかったのは、むしろよかったことが分かった。

ピアノで描く:アレクサンドル・タロー

アレクサンドル・タローのピアノ・リサイタル。

Program
フランソワ・クープラン:神秘の防壁 Les Barricades mistérieuses

アドルフ・アダン:バレエ「ジゼル」より”パ・ド・ドゥ“ Pas de deux

シャルル・グノー :即興曲 Impromptu

ジョルジュ・ビゼー:夜想曲 ニ長調 Nocturne ne ré Majeur

ジュール・マスネ:メロディー op.10-5 Mélodie

アンドレ・メサジェ:バレエ「イゾリーヌ」より“マズルカ” Mazurka

ガブリエル・フォーレ:ラシーヌ雅歌 op.11 Cantique de Jean Racine

F. プーランク:ノクターン第1番 Nocturne n°1

エマニュエル・シャブリエ:カプリス Caprice 
10の絵画風小品より”憂鬱” ”村の踊り” “牧歌” “スケルツォ-ワルツ” 

 

休憩


モーリス・ラヴェル:ソナチネ Sonatine
クロード・ドビュッシー:交響詩「海」La Mer

 

アンコール

ラヴェル:マ・メール・ロワ

サティ:グノシェンヌ No.1

 

久しぶりのHalle Runde、毎回雨降り。今日も雨が振ってきた。

昨年から連続2年ルンデでのリサイタルを開いているアレクサンドル・タロー。

わたしは初めて。

 

見た目の洒脱さから、'おしゃれな' 演奏なのかなと甘く見ていた。ごめんなさい。

表現力、技術、スケール、独自性と、すべてがすごかった。

 

前半は休みなく駆け抜けた。軽やかなテクニカルなメロディに、ダンサブルなリズム(そこはおしゃれ)で、急に大音量で絶叫する独特の弾き味。

後半、ラヴェルは早めで軽やか、ドビュッシーはオーケストラ以上の重厚さで大航海だった。体全体で弾く。楽器、楽曲、演奏者の一体感に観客ものまれていった。

 

アンコール2回も出てきてくれて、サティの始まりは演奏が踊りだしそうな身体使いで、楽しそうだった。

あっという間の2時間だった。

 

昨日、新譜が出たばかりなので、聴きながら開演を待ち、帰りの車内でも聴いた。

Mémoire

Mémoire

  • アレクサンドル・タロー
  • クラシック
  • ¥1120

music.apple.com

10月始まりの手帳

 

来年の干支はひつじらしい。

ひつじが良い感じで売り切れ続出というRollbahnの手帳をWebでみつけて、さっそく取り寄せた。出遅れたので好みの配色の手帳は売り切れている。

 

この手帳の特徴は、10月始まりということだ。仕事上、10月から記録できるのはなかなか良い。

 

ちなみに予定管理はGoogleカレンダーなので、このような手帳を買ったとて、まあ使わない。届いた手帳(2種類も買った)を、どうやって使うかを検討している。

ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち

ヴァルラフ=リヒャルツ美術館(ケルン)の大規模改修工事に伴う来日である。ゴッホや印象派だけではなく、バルビゾン派から印象派へ、点描派やポスト印象派、フォーヴィズムなど、時代の流れに沿った展示がされている。

 

ゴッホの≪跳ね橋≫は、アルルで5点ほど描かれたうちのひとつで、初来日である。クレラー=ミュラー美術館の跳ね橋(アルルの跳ね橋)とは違う作品である。ファン・ゴッホ美術館所蔵のものは、今年のはじめに愛知県美術館で開催された展覧会では来ていなかった。その他は個人蔵などである。

その跳ね橋だが、思っていたよりかなり明るい色合いだ。どんよりしたパリから、アルルに移り、現地の日の光を眩しく感じたことが表現されている。空や水を明度の高い色で表し、日の当たる面に鮮やかな黄色を使っている。こだわっていた糸杉、その位置には、やや無理があるように見える。画面構成上の追加なのだろうか。後で調べたい。

 

気に入った作品はいろいろあった。

シスレーは全部良かった。≪ハンプトン・コートの橋≫が特に良かった。ロンドンに滞在していた頃の作品である。シスレーはイギリス国籍のパリ生まれ、フランスで育ってフランス国籍取得も試みたけれどイギリス国籍のままだったという。ロンドンといえば、モネの≪霧の中の崖の家≫のターナーみが強くて面白かった。

 

キース・ヴァン・ドンゲン≪フルーリーの家≫だったと思うけれど、フォーヴィズムらしい色の面で構成されたいい作品だった。展覧会中もっとも気に入った。

 

その他、日本に来るとしたらフランス所蔵の作品になってしまいがちなカイユボットやピエール・ボナールの初めて知る作品が来ていたのが良かった。

 

小作品が多いのは、フェルディナンド・フランツ・ヴァルラフの個人の収集品だったからで、それをケルン市に遺贈し、ヴァルラフ邸で公開という運びだったのがこの美術館の経緯である。デューラーとかレンブラントなど収蔵されているが、来ているのは19世紀の印象派のものを中心にその前後の時代のものである。

 

今日は金曜の夜間開館日だったので、5時すぎ以降に到着しようと思ってでかけた。混んではいなかった。6時すぎまで鑑賞して、まだ何人か入場する人も見かけたけれど少人数だった。6時頃行くとかなり良いような気がする。

 

ヴォーリズ建築めぐり

近江八幡、八幡堀の舟も八幡山のロープウェイも乗って、次は建築巡りである。

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近江八幡の旧城下町は、思っていたよりも広かった。

歩けない距離ではないのだけれど、全部歩こうとすると歩ききれなくなる。車で回る方がいい距離のところもある。

 

ヴォーリズ巡りをしたいという人は、専用の建築巡りマップか、近江八幡観光サイトの

ヴォーリズ建築を訪ねて|モデルコース|【公式】近江八幡市観光情報サイト

を見ながら回るとよい。マップを途中で入手した私は、ちょっと不効率な周り方をして、全部回りきれなかった。

 

旧八幡郵便局、平日は外観のみ。

和洋折衷の二階建て、スペイン風味が興味深い。大正10年完成、明治期の建物の基礎の上に立っているそうだ。週末は内部見学・喫茶ができるという。

 

ここからアンドリュース記念館、近江八幡教会牧師館の外観を見ながら、15分ほど歩くと、池田町洋風住宅街というエリアに着く。

 

池田町はどの道も細くて似たような雰囲気なので、迷いながら歩くと、赤レンガの塀が目印になってたどり着いた。

この塀は残っているけれど、敷地内には新しい一般の家が建っていたりする。

 

煉瓦塀内には、旧近江八幡家政塾舎(石橋邸)、吉田悦蔵邸、ウォーターハウス記念館、旧近江ミッションダブルハウスが現存している。

 

ウォーターハウス記念館は、メンタームの近江兄弟社が修復し、維持団体が維持のために宿泊施設として活用している。宿泊施設(2~3階)と、喫茶室(1階)がある。

 

 

つぶら餅3つだけで長く歩いて疲れたところで、この喫茶室の上質なコーヒーとチーズケーキに救われた。

窓の外には吉田邸が見える。

 

喫茶室は「メレルの庭」という。ウィリアム・メレル・ヴォーリズのメレルである。宿泊するとここで朝ごはんを頂けるようだ。ぜひ、次回はウォーターハウス記念館に宿泊して近江八幡から彦根、長浜巡りをしたい。

 

外に出て、赤レンガ塀沿いに一周した。ウォーターハウスの喫茶室の窓から見えていた吉田邸。

 

ダブルハウスが角にある。

 

この地区には旧広瀬邸もある。今はOZENというお店になっている。こちらは洋館というほどではないが、2階の正面の3つの開き戸が印象的である。

 

 

メンソレータム(メンターム)の近江兄弟社によるメンターム資料館。メンタームはヴォーリズらが日本に持ち込んで会社が創立された。その資料を閲覧できるようだが、もう営業時間が終わっていた。

 

この通りは、出発点だった白雲館の通りである。お昼ご飯を食べそびれて、つぶら餅と和た与の試食羊羹1切れと、おいしいチーズケーキだけで歩き続けた1日だった。近江牛もいただきたかった(混雑していた)。

近いうちに再訪して建築だけ回りたい。

 

でっち羊羹

帰宅後、でっち羊羹を開封した。竹の皮にこしあんの羊羹がこんもりと盛られて蒸し上げられている。

試食のときも感じたが、食感がむちむちしている。少量の小麦粉をつなぎにして蒸しているそうだ。羊羹というよりケーキか、ちょっとした兵糧になるか?

・・・と思ったけれど、賞味期限は3日ほどという。

 

いかつい登山つきロープウェイ

近江八幡、お掘り巡りのあとは山城へ。

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しっかりした運動靴で行くべき場所である。


八幡山ロープウェイの往復券を買って乗り場に行くと、そこから5分ぐらい、山頂まで行ける。運行は15分おきだけれど、混んでくると頻度高めに運行している。山頂一周は30分ほどかかるという。

 

一周コースには右まわりと左まわりがあって、右に行くと瑞龍寺(豊臣秀次の菩提寺、村雲御所 瑞龍寺門跡)や展望館がある。旧城下町が見下ろせる。

 

左に行くと琵琶湖の眺望が楽しめる広場がある。北の丸跡である。

 

その間は細い山道で、一周して、八幡山城の石垣を見て、ロープウェイ乗り場に戻る。アップダウンが激しいし足元も悪いので、足腰の強い人だけ行ったほうがいい。

八幡堀めぐり

近江八幡の散策、続き。

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八幡山に築城した豊臣秀次が城とともに建設した八幡堀が城下町をぐるりと流れる。堀の両岸には古い土蔵や家など並び、時代劇の撮影にも使われるそうだ。その堀を和船で遊覧できる。

その乗り場は(あとから分かったけれど)白雲館から日牟禮八幡宮へ道をわたって、鳥居をくぐってすぐの堀沿いの遊歩道へ降りてしばらく行ったところである。これがすぐに分かる人は上級者か、小さい看板も見逃さない人だ。

 

日牟禮八幡宮(鳥居):ここをくぐると八幡堀の橋を渡ることになるが、左下へ降りると和船乗り場がある。

 

一般初心者のわたしは、楼門(山門)の立派さを堪能し、まずぐっと奥に入って八幡宮をお参りして、船はどこからかな~?とふらふらさらに奥に進んでしまう。するとロープーウェイ乗り場に行ってしまう。

 

豪華な彫り物や狛犬(写真のニューバージョンではなく、裏に旧狛犬)など、ゴージャスで安定感のある楼門。

 

能舞台もある。これは明治期の建物で、少し新しい。

 

 

和船で八幡堀巡り

しかし倉敷の経験から、堀廻りの船というものは3時頃までの運行で、すぐに満員になって今日の運行分は終了してしまうなんてことがあると思っている。ロープウェイは後回しにして、まずは船の予約だ。

 

実際、その懸念はあたっていた。

来た道を戻ったり八幡宮の外に出たり無駄な時間を費やしたあと、なんとか船乗り場を見つけて、そこの「紙」に名前を書いて待つ。すると今日運行している3艘は、目の前で満員になった。次は30分後ということだ。

どうやら一周35分ぐらいで堀を巡り、戻って乗客を乗せ替えるという繰り返しのようである。船によるけれど12人乗り程度なので、36人ぐらいを40分ごとに乗せているような計算になる。あっという間に15時ぐらいまで予約が埋まりそうだ。

 

なんとか次の便の1人目で呼ばれそうなところに名前を書けた。

 

運行時間を待てない人たちは、堀沿いの遊歩道を歩く。それでも十分八幡堀を楽しめる。この時期は彼岸花が群生して趣もある。

 

つぶら餅

問題は現金払いなのに万札しかないことや、昼時で空腹になりかけていることだった。しかし30分では食事はできない。そこで、食べ歩きができるという「たねや」のつぶら餅というのを買って、細かいお金とおやつを得た。

謎におしゃれな建物の中に、飲食のスペースもあるし、食べ歩き用の販売カウンターもある。

つぶら餅は、ごま団子(芝麻球)の胡麻なしといった体の揚げ菓子で、少し待つと揚げたてを渡されるが、冷ましてから食べないと大変なことになるぐらい熱い。結局食べ歩きではなく持ち歩きになるので、少し冷めたのを売ってほしいと思った。

 

八幡堀巡り

船着き場に戻ると、すぐに私の名前が呼ばれた。

釣り銭のないように用意したお金(1,500円だった)を支払い、船の先頭に乗った。先頭の2人だけは船の屋根のかからないところに座ることになるので直射日光を浴びる。日傘で他の乗客さんたちの視界の邪魔をしてもいけないので、こらえて日光を浴び続けた。夜になった今、アレルギー爆発中だ。

 

 

過剰な日光浴のことを除けば、船の旅はすばらしかった。

水の上を移動する快さ、両岸の古い建築物や、個人宅用の階段、川面に向かってそよぐ柳、浮かれてたくさん写真を撮った。

 

橋の下をくぐるのって何故か楽しい。

他の船に乗っていたおじさんはずっと動画を撮影しながら一周したようなので、わたしより浮かれていたに違いない。

 

 

水路が日常にある生活、面白そうだ。家を出て自前の小舟を手漕ぎで目的地へ、という日常。

普段、わりと自由に生活しているつもりでも、無意識のうちに現代の枠組み内で生活してはいる。その枠組みからちょっとだけ外れた水上生活を想像してみた(テムズ川のナローボートを見た時も同じことを考えていたな)。

近江八幡 もたもた旅

近江八幡へ行った。

昨日で連休も終わったので、今日はいいタイミングだろうと思ったのだ。しかしどうやらそう思った人は多かったようで、あまりいいタイミングでもなかった(そこそこ混んでいた)。

昨日思い立った旅なので、行きたいところは念頭にあるけれど、それらの位置関係の情報が少ない。したがって、もたもたの効率の悪い散策となった。

行きたいところというのは、ラコリーナの藤森照信の仕事を見たり、船で堀を巡って水路移動を楽しんだり、ロープウェイで琵琶湖を臨みかつ山道を歩き、ヴォリーズの建築群を巡ったりする、余力があれば名物を食べる、などだった。

 

まず、予定どおりに電車に乗れなかった。

最寄りのJR駅から米原まで1時間に1本は快速が直行に近い運行をする。大昔から、「米原越えをするときは、米原の接続を確かめろ」と語り伝えられてきた。もちろん、今日もそのいい感じの電車で行く予定だった。

しかし、平日の朝の渋滞で、JR最寄り駅までの自家用車時間が大幅に伸びたので、その電車には乗れなかった。しかたないのでしらさぎのチケットを取ろうと思ったけれど、新幹線のように移動中に簡単に取ることはできない。しかたないので各停で米原着、その後は琵琶湖線の快速で現地入りした。大垣で20分ぐらい待ったけれど、それほど問題なく行けた。

ところで、JR東海とJR東海と西日本をまたぐため、東海道本線と琵琶湖線を連続で乗り続けるとSuicaが自動的に適用できないことが分かった。このエリアまたぎのことをよく分かっていなくて行きも帰りも駅員さんに計算してもらって改札を出た。米原でいったん改札を出るといいらしい。

 

当初の予定より30分遅れて近江八幡の駅に到着した。

近江八幡駅には「6番バス乗り場から」という張り紙があって親切だ。バスターミナルを見ると6番にすでにバスがいるので、行き先の確認もそこそこに、そのバスに乗った。事前準備をしていなくてどこで降りるかわからないので、「ロープウェイ乗り場」みたいな停留所で降りた。すると観光案内所にもなっている洋館があって、その中で散策マップを得た。

 

洋館は白雲館といい、それ自体が見どころでもある。

明治10年の建築物で、地域の学校として地元民の寄付で建ったという。近江八幡には大正期の小学校や商業高校など学校建築が多めに残っている。近江商人のセンスと意識の高さがうかがえる。

道を挟んだ向かい側が日牟禮八幡宮である。散策マップによると、八幡堀の和船乗り場も、ロープーウェイの乗り場もこの神宮内になる。

 

軽い気持ちでまずは八幡宮にお参りに行き、さてそこから船に乗れたのは2時間後、ロープーウェイは3時間後だった。もうヴォーリズとか回っている時間はあまりなかった。

というのも、船に並ぶ人が多く、順番待ちに時間がかかったからである。その間に日光アレルギーなのに怖いほど陽の光を浴びた。仕組みを知っていればうまくいいタイミングで乗れたかも知れない。

ただ、そこで粘って待てたので、すばらしく心地よい船めぐりができた。

 

さらにロープーウェイからの景色を堪能して、ヴォーリズめぐりを始めるのが遅くなってしまったが、3館ぐらいは見学できた。この辺のことは改めて別途書く。

 

たいていの人が最初に訪れる本町通り、八幡の豪商たちが暮らした目抜き通りである。ここに来れたのは夕暮れ迫る16時すぎだった。

町家建築がつづき、その先には指定文化財の旧伴家の二階建て住宅がある。

 

 

帰りはバスになかなか乗れなかった。近江八幡駅に戻ったら狙っていた電車に間に合わず、朝同様、また各停で帰ってきた。

 

全体にやり残しが多い旅だった。実際、車で回らないと無理な距離の場所もあり、1日で15時ぐらいまでに巡り切るのは難しかった。(しかも遅めに到着して)

 

帰宅してから分かることも多い。この地域、かなり多様さや時代・文化の層を含む大きな観光地と考えるべきだった。

豊臣秀次の築城の時期(山城や堀)、それ以前の歴史(日牟禮八幡宮とか)、江戸の豪商の町家建築と碁盤の目のような城下町設計、大正期のヴォーリズ建築、たねや(クラブハリエ)や西川、近江兄弟社など現役私企業の関わり、琵琶湖や周辺湿地・丘陵地から成る地形、など、混在している。

 

和た与の「でっち羊羹」と、ういろうを買ってきた。

お店のご対応は、試食品やおすすめ品の紹介はちゃんとしてくれるが、ぶっきらぼうだった。しかし、お菓子はかなり美味い*1。

 

それと、近江八幡に数十年前に行ったことがあると思い込んでいたけれど、あれは近江八幡ではなかった。こわい。

 

<行き先別のエントリー>

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*1:やや北のほうにある別店舗「明治橋 あまな」という喫茶店は和た与の直営で丁稚ようかんとお茶がいただけるとのこと

リハビリ送りとなった

レントゲンから総合病院へ送られ、MRIへ送られ、血液検査も念のために挟み、全部の診断結果が出た。

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骨もその他の組織も異常がなく、血液も「きれい」(と言われた)だし、異常がない。つまり関節が固まって炎症が起きている。対処方法は、曲げるリハビリをして可動域を増やしながら治すしかないということだった。

新たな試練である。

 

総合病院ではリハビリはやっていないので、個人の病院に送り戻されるという。最初の病院に再度行くか、その診断書を別の病院に持っていくか、どちらでもいいという。

仕事日だったので仕事終わりに職場の近くの病院に聞いてみると、症状によるので見てみないと分からないとのことで、とりあえず予約してみた。

 

自分で曲げることが大事だという。曲げようとしても痛い。

半田赤レンガ建物

旧中埜家の別荘を引き上げて、名鉄の次の駅である住吉町駅に近い赤レンガのビール工場跡地にできた博物館+食堂+ショップへ行った。

 

 

ここは中埜家の洋館より早い時期、1898年の建築物である。横浜の赤レンガ倉庫はじめ数々の日本の近代建築を手掛けた妻木頼黄(よりなか)が携わったビール工場の産業遺構である。幻のビールとして復刻もしたカブトビールの工場だった、

 

カブトビールを製造販売していた丸三麦酒株式会社という会社は、中埜又左衛門(ミツカン第4代)がその甥(盛田善平)に声をかけたことから始まり、その赤レンガ工場は修繕で蘇り、ビール醸造の歴史を伝えている。

 

ハーフティンバー様式、先程の住宅は漆喰壁だったが、工場は赤レンガで埋めた外壁が赤く、目立っている。

 

この中は、ショップとカフェ、奥に工場の歴史を伝える道具や商品、資料の展示(有料)がある。3部屋に分かれていて、奥の3部屋めが映像解説資料の視聴室になっている。その映像を先に見ると良い。理解したうえで他の2つの展示室を見ることができる。

 

映像資料では、工場の建物の工夫、関わった人々、当時の船運の開発やビール文化の様子、博覧会への出展、戦時中の困難、被弾したレンガ壁の創などが一気に学べる。情報量が多いので建物情報だけ記録しておく。

 

工場の壁にはコルクやおがくずが埋められている箇所もあり、三重の壁の内部には空気を貯めるための層がある。こうした工夫によって温度湿度の管理がされていたという。

有料エリアを出たところ、裏で入り口付近にその壁を見ることができる場所がある。

 

この壁を出たところに、被弾した痕が残る壁がある。

 

有料エリアに戻り、天井を見ると、映像で教えてくれた通り、梁が渡されている間をかまぼこ型に漆喰が塗り込められていて、内部の環境維持に機能していた。

 

上階に登る階段が見える箇所もあり(上がれないが)、樽を保管するために壁が樽の丸みの分をへこませていた箇所もある。

 

半田のこの一帯は、半田運河の倉庫も復元していて、運河沿いを散策したり、醸造が盛んな地域ならではの食事をしたりができるような取り組みが始まっている。「國盛 酒の文化館」や「ミツカンミュージアム」など中野酒造株式会社が関わる場所と、中埜家の洋館のように半田市が関わるものが集まっている。どちらも見学に予約が要るとか、時間が決められているなど、常にアクセスできるわけではないけれど、取り組みが進んでいきそうな雰囲気である。

 

ショップで買ってきたちんとろ最中。

住吉ちんとろ祭の「ちんとろ船」がデザインされた最中とそのパッケージがかわいい。

 

旧中埜家住宅の公開日

重要文化財旧中埜家住宅自由見学DAY(令和8年9月)|半田市公式ウェブサイト

国の重要文化財となっている「旧中埜家住宅」を半田市が自由見学DAYとして公開している。予約無し、無料で、好きな時間に行って上がって、見て、帰ってこればよい。

無料公開、たいてい春と秋に数回、今年の秋の公開日が始まった。9月の土曜日4回、午前10~12時である。

うちからはふらふらドライブで1時間強で着く。ちょうどこの住宅の隣にコインパーキングがある。徒歩の場合は名鉄知多半田駅から近いし、JR半田の方でも歩ける(と思われる)。

 

ところで旧中埜家住宅って何か。

中埜家住宅は第10代中埜半六(はんろく)の海が臨める別荘で、半六がイギリス留学で気に入ったというハーフティンバーの暖炉付きの洋館である。

半六は代々は衣浦港を半田運河として整備し、海運業で財を成した地元の名士で、この別荘は第10代半六が明治44年(1911年)に建てた。設計は鈴木禎次(ていじ)で、名古屋地域の近代建築を一手に担った建築家である。

ちなみに、半田で中埜というと尾張の人間は「ミツカン」と思う。ミツカン酢の醸造業は中埜又左衛門(またざえもん)家が興した。当主が代々同じ名前なので誰がどこまで活躍したかが紛らわしい。このミツカン創業者の中埜又左衛門も、この別荘を建てた中埜半六も、本家である中埜半左衛門(はんざえもん)家の分家に当たる。

 

10時半頃到着して、洋館のハーフティンバー様式を外から確認しつつ、中にはいる。写真に見えるバルコニーは内部からはアクセスできないので、外からよく見直すとよい。バルコニーのアイアンワークも各所にデザインが凝らされていて、バラもモチーフも見える。庭にはバラが咲こうとしている。たしかにイギリスやスコットランドを感じる。漆喰壁の足元には石の埋まった意匠もあり独特である。右手の出窓は客室のもので、中から見るとレリーフの縁取りが壮麗である。

 

玄関の扉は開かれていたのでじっくり見ることができなかったが閉じると円の意匠が現れる。写真ではそこにもバラのデザインがなされているようだ。

入ると広間と呼ばれる空間がある。左手の応接の部屋が最も豪華で、特注の家具の細工もおしゃれだ。この左心の右手に暖炉がある。天井にはガス灯があったそうで、痕跡のみ残る。

暖炉もガスを利用したようなので、火をくべることができるのかは分からないが、この部屋の暖炉が屋敷のなかで最も良い素材のもので、大理石が使われている。アイアンワークも手が込んでいた。

 

半田はガス事業の発祥も早く、現在の東邦ガスにつながる。そのガスをいち早く取り入れている。

 

一箇所、ドアのノブの趣向を凝らした工芸を見つけた。他のドアは丸い真鍮のような素材のドアノブだった。

 

1階の部屋は、居間、食堂、寝室と続く。裏には女中部屋と書生部屋がある。その付近に電話設備が2箇所ある。交換手に取り次いでもらうタイプの電話である。

 

 

電話の左上のほうにあるのは女中を呼ぶための呼び鈴である。それをやるのは、イギリス貴族だ。

 

2階に上る階段には天然のリノリウムが敷かれている。貴重な当時の設備である。2階の和室は公開されていないので、階段の上まで行って、広間と天井を見るだけである。

 

外に出ると、暖炉の場所には煙突があったことが分かる。昭和初期の写真を見ると、煙突になっているように見えるが、今は屋根がかけられているようだ。

 

この洋館は2000年代まではティールームなどに利用されていたが、老朽化が激しく、いちどは取り壊しが決まったそうだ。その後関係者の働きもあり、希少なリノリウムや、屋根のスレート(これも天然の)、ガス器具など、文化財として貴重なものもあるため、修繕が始まり現在に至るという。

 

創建当時は海が見える位置だったというが、現在は海岸が遠のき、ビルも増え、名鉄駅もあるので、町中の洋館である。

 

MRIの日

手指が腫れて突っ張っているので総合病院で診てもらったのが今週の頭だった。診断はつかず、検査となった。

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今日がその検査のうちMRIの撮影日だった。15年ぶりのMRIだ。

 

着替えが用意されているので普段着で来るようにということだったが,看護師さんがわたしの装いを見て「そのまま行けそうだ」というので、着替えずに検査となった。一応、金属探知棒で金属チェックはしてくれた。

 

昨今は手だけ入れるMRI機もあるそうだが、今日の病院は全身入るあのよく見るMRIに全身出入り、手だけ別の器具に載せて,多分そこだけ撮影する。

 

手の甲側から撮影するために、体全体もうつ伏せになる。その体勢はなかなか辛かったが、撮影自体は全身のときより楽だった。昔より例のガンガン音は弱めになっている。一応音楽のヘッドフォンをつけてくれるが、それがなくても大丈夫だったかも。

 

全身よりは短時間で終わったようにも思う。10分程度の撮影と、撮影間の待機時間を合わせて15分ぐらいだったかと思う。

 

撮影のタイミングで「次の撮影は2分です」みたいなアナウンスが聞こえて、2分だったり、1分だったり、30秒だったりの時間音が激しく鳴り、撮影してるなということが分かる。

 

終わって、変な体勢から立ち上がるのに苦労しつつ、やっと帰宅と思ったら、精算に30分待たされたのだった(通常会計とは違う手続きが必要だったのを知らずに待っていた)。

うずらー吉兆を叫ぶ鳥

豊橋美術博物館で開催中の「うずら」展に行った。豊橋市制施行120周年記念なのだそうだ。養鶉の歴史を紐解く展卵会、卵の図は意外となかった。

主に雌雄のうずらが描かれた掛け軸や、四十八羽のうずらが描かれた屏風など、「鶉図」なる図画を堪能した。万葉集や和歌集に現れるうずらの紹介、うずらを象った工芸作品、うずらを愛でる文化、養鶉(ようじゅん)の歴史や方法、いろいろな歴史資料も展示されて、初めてうずらについて知ることも多かった。

 

「御吉兆」と聞こえる鳴き声が縁起良いとされる。表題の吉兆を叫ぶとは、そういうことである。中国では鶉を「あん」と発音するため安心の意味で吉とされていたそうだ。

 

そもそも、鶉という鳥がどのような形状、サイズ感なのか、あまり印象にないほど鶉との接点がなかったが、ビデオで鶉の姿と鳴き声を流しているのを見て、なんとなく骨格や羽、くちばしの様子などを学んだ。こうしてみると、鶉の羽の重なることでできる模様は独特で芸術点が高い。一定の模様をなすパターンと白の差し色、胸側の白さ、意外な足の長さ、どのパーツもなかなか良くできている。何より全体の形がいい。

 

鳴き声バトルの流行った時期もあったとかで、カゴにマイウズラを入れて一同に介し、「鳴き合わせ会」を開いていたという。そのために野生の鶉を網で捕獲したり、鶉に鳴き声を習わせて英才教育したりしていたようだ。今は野生の鳥を捕獲してはいけないのでそんな文化もなくなった。

 

工芸品は、木製やガラス製、陶製など様々な素材で鶉を象った置物や道具、また皿や湯呑などに描かれた鶉など、それぞれかわいらしかった。ガラスの箸置きなどうまい形で拵えられていて気に入った。民藝運動の河井寛次郎による鶉斑文盃(うずらはんもんはい)は独特の鶉斑、これは羽模様をデザインしたもので、飽きずに眺めることのできる盃だった。

 

食用の養鶉採卵の歴史資料もあり、展覧会会場の外ではうずら卵やその加工品がお土産用に販売されていた。

 

ミュージアムカフェのうずらカップケーキ、かわいくておいしい。