考え中

まったく公共性のない備忘録

新鮮で腰のあるプリン

 

 

プリンは<とろとろ>か<固い>かの分け方で語られがちだが、昔のプリンだって単に固かったわけではない。柔らかな中に腰のある新鮮さが、ある種の固さとして認識されているのだと思う。

 

新鮮さ確保には、やはり新鮮な卵と牛乳で作って翌日ぐらいまでには食べるという厳しい条件がついてくる。腰のあるいわゆる「ぷりんっ」とした歯ごたえは、配合や火の入れ方と新鮮さがいずれも条件となるのかと思う。

 

大量生産すると「プリンっ」とはせず、均一な安定した固さの食べ物になってしまうか、あるいは別の配合物、例えばゼラチンなどの力を借りて固めた別の食べ物になってしまう。それらもそれらで美味しいのだが。

 

個人経営のケーキ屋さんや喫茶店なら、満足なプリンが出てくる確率が上がる。とはいえ、「これだ!」というのにはまだ巡り会えない。写真のプリンは和菓子屋で売っていてかなりいい方のプリンである。

 

関連して卵料理でいうと、オムレツの卵もとろけるようになって久しい。

焼いた香ばしさはないし、卵なのかライスなのかわからない一体となったやわらかな食感が物足りなさでもある。パイプオルガンのようなイメージである。

パリッと焼いた香ばしい薄焼きの卵に満タンに詰め込まれたケチャップ味のライスをスプーンでつついて食べると、卵とライスの異なる2つが働きかけ合って、それもまたよい。ピアノとチェロが協奏するイメージである。