ジョニー・デップ、ポール・ベタニー、グウィネス・パルトロウ、ユアン・マクレガーと、役者は揃っている。
原作は英国紳士による知的ブラックユーモア満載の、かなりふざけたお話…
美術品を闇で扱うイギリス貴族のモルデカイはジョニデがやるとアニメみたい。名画盗難に諜報機関やマフィア、テロ組織や警視も出てきてもう少しでルパン三世風になっちゃう展開。
ジョニデががんばるものの、グウィネスとポール・ベタニーに食われた感はある。ユアンもいい味だしている。
以前、うちの窓から見える隣の空き地の木を「センダン」だと同定した
冬の間、センダンは葉を落とし、存在感を消していたが、最近若い芽が出て少し男前になってきた。
今朝のこと、木のてっぺん辺りに虫がたかっているのを発見。ものすごい量だ。足がダランと垂れているし、飛び方がハチドリみたいなホバリングなので、アシナガバチかしら、大変!と思ったが、それにしては小さいし黒い。アブの類かもしれない。ただ、見た感じやさしそうで、ちょっと不潔っぽさがあるぐらいで、危険はなさそうな風体である。
さっそく調べたら、大群で跳ぶ黒っぽい、1.5センチぐらいの足の長い虫というのが該当する。ケバエというらしい。群れは1週間もすればいなくなるとか。
ちなみに、Wikipedia見ると、センダンの葉は除虫効果があると書いてあるが、虫にもよるのかもしれない。
東京出張でよく歩いたので、体調がいい気がする。普段も歩けばいいのに、というわけで3日坊主は確実だけど、朝の7時台に近所の公園の桜を見に出かけた。1日置いて、今日も午後に散歩した。
まだ桜は咲き揃わず、先に雪柳が白く満開になっている。
今日は、懸案だった散髪に行き、私のサイズの靴を見つけ、先日ぶつけられた愛車の修理が終わり、天気もよくていい一日だった。昼ごはんにアボカドとマグロととろろの丼を食べたのもよかった。
Benedict Cumberbatchが第二次世界大戦のまっただ中、ドイツ軍が世界最強と誇るエニグマコードを解いた天才数学者アラン・チューリングを演じる。チューリングマシンによるエニグマの解明でイギリスを勝利に導くという多大な貢献したにも関わらず、暗号解読のミッションは極秘で、彼の功績は表には出なかった。それどころか、その後の人生は暗く短かった。
映画の真ん中には、暗号解読のために国家予算をつぎ込んだ大きなマシンがある。実物にできるだけ忠実に作られたという画面いっぱいの暗号解読機。
戦争も終わり、2年の服役か、薬物治療かの選択を迫られ後者を選んだチューリング。健康を損ない、子供時代の親友の名前をつけたマシンを作っている。当時、唯一の親友だと思っていたのに、本当のことは何も教えてくれなかったクリストファー。彼の心を知りたいばかりに作るマシンが、コンピュータの構想となる。
Cumberbatchは、サイコパスの役が多いというけど、シャーロックがどうしても重なってしまう。暗号解読作業のための場所に入っていくときに、ちゃんと偽造じゃない通行証持っているじゃんと思ったり。
前回の、このエントリーで「リッピ」の絵について書こうとした後、私どこかでフィリッポ・リッピについて書いたけど、どこでだったか?と思い出そうとしたのだが…
もしかしたら、昔公開していた「ホームページ」なるところで書いたような気がする、しかしその「ホームページ」は、もうない。
ないというか、フロッピーディスクにバックアップした記憶はある。ただし、ディスクドライブがないので、「ない」に等しい。
戯れに、amazonで検索したら中古IBMのドライブが送料を入れても1000円以内で買えることがわかり、戯れにポチ。
すぐに配達された箱から取り出し、Thinkpad(Windows7)に差し込んだら、即使用可能の素敵なやつだった。そこに、1998年とか99年とか、新しくても2001年とかいう頃に保存した「ホームページ」(。>﹏<。)を、2016年の今!読み込む。
懐かしいけど、恥ずかしい。よくこんなものを公開していたもんだ。文章も稚拙だし、写真も初期のフラットスキャナクオリティだ。
お目当てのフィリポ・リッピもクソみたいな文が書いてあったが、何の参考にもならなかった。年はとったけど、どんなに綺麗な洋服が似合うといっても若いころには絶対戻りたくない。
…と、ここまで書いたが、現在のクオリティにも恥ずかしさを感じていることを申し添えたい。
出張続きだが、東京といっても広いので、毎回違う所に遊びに行っている気がする。今回は神田と上野を回った。
神田の古書店街は何年ぶりだろうか、最近はネットで古本を注文できるので、わざわざ購入して荷物を増やす必要もないのだが、それでも棚を一覧するという「観光」をした。
仕事が3時には終わっていたので、上野の西洋美術館でカラヴァッジョ展を見た。片肌をぬいた少年がフルーツを抱えていたり、賭博の席で聖人が語らっていたりして、これに画家自身の私生活面のスキャンダルの匂いが演出となって、何かドラマを見た感覚である。欲望は悩みと歓びの両方をもたらすのだろうが、こんな表現(いい意味で)が受けてたローマの17世紀に思いを馳せることになった。
翌日は雨予報だったので、また美術館へ。こんどは東京都美術館のボッティチェリ展へ。ボッティチェリというより、フィリッポ・リッピからボッティチェリ、フィリピーノ・リッピへと繋がる師弟の技術の継承の跡を見る展覧会だった。透明感が快い。
雨脚が強くなったので、美術館内のカフェで昼ごはんを食べた。その後、雨が弱くなってから出張先の下高井戸方面へ。
今回、神田ではいろは寿司、上野では駅のアトレにあるつばめグリルで食事をしたが、どちらもおいしくて吉。夏に浅草へ行った時よりもっと東京の味わいだった。
色金山歴史公園は、長久手古戦場の近くにある小高い山で、家康が陣を張ったところとして史跡になっている。山どころか丘といっても言い過ぎなようなところだが、少し登って展望台に出ると、前がひらけて街が見下ろせるので、駐車場がすでに中腹になるのかもしれない。
何もなかったところに、平成になってから階段や展望台を付けただけの簡単な場所だが、紅葉が美しいとか、茶室のお菓子が美味しいとか、訪れた人には好評のようだ。
そのお菓子は、浅井屋製菓舗という長久手市内のおまんじゅう屋さんのもので、季節によって変わる。今日は桜餅だった。本当に美味しい。
街に戻り、浅井屋製菓舗へ寄って、古戦場もなかというのを購入。緑色のは抹茶ではなく柚子餡の最中。
これが、もち米から作った皮の香ばしさとコシがすばらしい最中で、できたてを買うに限るが、運もあるかもしれない。
実は、このお菓子を昨年の秋ごろ、偶然、この当たりのミニストップで見つけて、その時には所用で荷物になるので買えなかったのだが、いつか買おうと思っていたものだ。
他のお菓子も買いたかったけれど、本日中にそんなに食べきれないので、次回、季節が変わって新たなお菓子が出るころに再訪したい。
若いころはあれだけあこがれた海外出張だが、いざ、実際に海外出張となると責任もあり、体力も必要で、いくら出張費が出るといっても仕事ででかけるのは大変だ。
自分のお金で、一人で気ままに行く旅行がやっぱり一番。
飛行場からの眺め。こういうレストランでランチをしたら気分良かろうと思って食べてみたが、たいして楽しくはなかった。出張だから。
到着して、一仕事した後、仕事関係の人にホテルまで送ってもらった。途中でスーパーマーケットにも寄ってくれたので、野菜やフルーツ、パンとハム、牛乳、そしてチョコレートを少し仕入れた。アメリカのイチゴ。果物というより草の実という味(おいしい)。
ホテルはシアトルズベストコーヒーの人がサーバーにコーヒーをたくさん入れておいてくれるので、いつでも飲み放題。
街だけど車が主流、宿泊したホテルも、徒歩の人にはあまり向かないフリーウェイ的な道路に囲まれている。
仕事先まで徒歩で行けたので、限定的な公共交通機関であってもそれほど困ることはなかった。
この街は空港までのアクセスが悪く、フリーウェイなら20~30分なのに、コーチや電車で行くと1時間以上かかる。仕事なのでタクシーを呼んでもらおうと思ってフロントにお願いしたら、「この辺ではタウンカーがいいです」とのこと。フラットレートだし、安全だし、空港まで50ドルで30分。
コスモポリタンなこの街には、移民や留学生やインターナショナルなビジネスマンがたくさんいる。移民の3世という運転手さんと会話しながら、アメリカ文学の授業で日系移民のことやクイア理論のことをやったのを思い出した。
新しいメガネを作った。といっても、3年前に作ったメガネの赤いフレームが重いので、同じ度のレンズで軽いフレームを使って新調しただけなので、「作った」というほどでもない。今度は黒いフレームにしてみた。
赤フレームの鼻あても変えてもらった。気持ちいいけど、ちょっと調整に失敗していて、メガネが鼻から飛び出ているので、明日、黒フレームメガネを取りに行くときに再度修正してもらわないと。
針名さんと熱田さんへ初詣に行った。
↑もっかい、よく読んで!
自宅の倉庫的なところを片付けた。
倉庫的なところとは、キッチンの奥のパントリー的スペースである。ここは収納庫場所にでもしておいてくれればいいのに、何もない空きスペースになっていた。
しばらくあまり活用していなかったけれど、物があふれだしたので、仕切ったり収納ボックスを操ったりで、すべて収まるようにしてみた。すべて収まるととてもうれしい。
年末に相応しい労働だった。