考え中

まったく公共性のない備忘録

大雅と蕪村

名古屋市博物館で、全4期のうち現在第2期の『大雅と蕪村』の特別展を観た。文人画と呼ばれる中国知識層の非職業絵師の絵画のスタイルを日本に根付かせた池大雅と与謝野蕪村を特別展名としているが、展示内容は少し趣旨が違う。日本では文人みたいな身分に憧れる人はいても、実際には職業絵師なので、文人画というより南画と呼ばれるが、この展覧会では敢えて「文人画」として、日本での受容から隆盛までの歴史を、尾張名古屋の地域との関連で紐解いている。

大雅と蕪村は、鳴海の豪商、下郷学海の注文による「十便十宜図」を分担して描いた。十便を大雅、十宜を蕪村が手掛け、合作とした。

そういうわけで、展覧会の会期中、10回に分けてページ替えするという。主に前期、後期の2期になっているが、基本的に4期に分かれて2期づつ1回展示替えの作品が多い。10回も行けないし、4回でも無理だ。1回だけ行くことにした。

 

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南画の初期を創始した彭城百川*1から展示が始まる。この人は尾張名古屋の薬屋さんの息子で、京都に出て職業として絵を売ったり注文を受けたりしたという。山水図屏風が後期に展示されるようで見れなかったが、今は梅図屏風という見事な水墨画が展示されている。俳人でもあり、句集の挿絵、いわゆる俳画として発達するような絵を描いたりもしている。デッサン力があって絵はうまい。

 

「十便十宜図」は、そんな不便な暮らしのなかの便利な側面10個と自然の宜しい側面10個を読んだ中国の文人の詩の絵画化である。文人画は、オジサンの一種の理想像で架空なので、その精神性が問われる。人里離れた園林でSDGsな暮らしをするが、女人はあまり登場しない。10分の1しか観ていないので、なんとも言えないけれど。

 

もう一つの尾張関連が松尾芭蕉で、この地域に滞在してしばらく活動したり、後進育成として俳句の手ほどきをしたりの様子が南画や画家の絵手紙などで伝えられている。芭蕉は蕪村のメンターなので、その後も蕪村のキャリアのお手本になり続けるようで、芭蕉は徐々に神格化されていく。

 

展覧会の最後では、キャノンの技術による精密レプリカを間近に鑑賞することができる畳敷きスペースが設置されている。上がって観てもいいのに、誰も上がらない。けど、私は上がらせてもらって間近に六曲一双を楽しんだ。ガラスケースのストレスがない上に、精緻な再現でまるで本物を観ているようだった。

という感じの、博物館ならではの展示だった。

 

 

*1:さかきひゃくせん/ 1697-1752