考え中

まったく公共性のない備忘録

レコルトのソロカフェ

レコルトのソロカフェというコーヒー器具について書いていなかったので、いまさら書く。近所の輸入雑貨屋さんで見かけて、少しかわいい感じだったので衝動ショッピングしたものだ。

 

網のフィルターがついていて、紙フィルターが要らないタイプの1人用コーヒードリップメーカーで、200CC落とせるようなサイズになっている。

 

使ってみると、紙フィルターを通さない甘くてまろやかなコーヒーが落とせる点がいいところ。

一方、200CCでは足りないことや、網フィルターの維持に手がかかることが欠点である。

コーヒーを落とすためには、強くて匂いを吸収しにくい金属がいいのであるが、このフィルターはプラスチックの網のような素材なので、コーヒーのカスの時間が経過したときの匂いが染み付いてしまう。漂白剤などでも落とせない。

 

それでも、できるだけ清潔に保って使えばコーヒーの味には影響はないし、紙フィルターを切らした朝なんかには助かる。

ちなみに、出番は月に3回ぐらいと頻度は低い。せめて250CCドリップしたい。

DynaBookをリサイクル

2006年に買ったXPの載ったDynaBookを2012年末まで使っていたけれど、Windows7がはじまり、動作ももったりしてきたので、今日まで押入れに眠っていた。

リサイクルシールが貼ってあるノートなので、東芝のサイトで確認すると、すぐにリサイクルの申し込みができるようになっている。

申し込むと、荷物の送付状が郵送されてくるので、箱に詰めて郵便屋さんに家で引き取ってもらえばいいのだ。私は出かけるついでに郵便局に持ち込んだ。買った当時の箱が残っていたので、未使用のマウスも入れて箱を閉じる。

私所有のパソコンでは最後の32bitパソコンだった。まだOffice XPが使えそうな状態で、持っていたらそれなりに使えるかもしれないとも思うのだが、単に廃棄ではなくリサイクルしてくれるなら、それでもいいかと思って郵送する。

 

 

リーディンググラス

20年前のメガネを読書用にしていたので、同じ度で新しいメガネを作ってきた。

実物を持って、これと同じ度で、と言っただけで、その場でレンズを機械に当てて度数を出している。そんなことができるのか。

しかも驚くことに、30分後に出来上がるそうだ。

すごく軽いフレームを選ぶ。

 

30分間、洋品を見たり買ったりして戻ると果たしてメガネが出来上がっていた。最近目が遠くなって億劫になっていた読書が進む(といい)。

 

糖質をセーブするどころか

ふすまのパンは冷凍庫に眠らせたまま、連日甘味を楽しんでいる。特に宮崎産マンゴーのタルトはマンゴーがすばらしく、オレンジのショートケーキは愛媛産のオレンジがすばらしかった。

例の病は薬で安定していて、薬の副作用の体重増加も緩和されてきた。

ふすまのパン

街に出たときに、可愛らしいパン屋の横を通ったので、パンを一斤買った。

大好きなくるみなどが入っているやつだ。

今日楽しみに食べてみたら、やけにモゴモゴしていて何かおいしくない。なんだ。

 

早速検索してみたら、この店の商品は、すべて「ふすまパン」だったのだ。

ふすま入りなので、糖質制限している病気の人や、ダイエットの人は食べるといいけど、普通の人は別に食べなくていいパンだった。キーッ。

店にもっとちゃんと「ふすま」を謳っておいてほしい。

 

……糖質を抑えてみるか。

病気Aの現状

6月に3ヶ月ぶりに血液検査をしたところ、調子はいいけど劇的に改善もしていないという状況だった。つまり薬有りで現状維持が続いている。

薬は少し減ったけれど、また10月まで様子を見る日々が続く。

何も考えずにゆっくり休むといいのだろうが、昨日まで週末の出張で東京にいたし、その間も連絡のメッセージが途絶えない。こうやって10年ぐらいあっという間に過ぎ去るのだろうか。

The Danish Girl(リリーのすべて)

デンマーク、20世紀初頭、性同一障害の男性リリー・エルベが世界で初めて性適合手術を受けて女性になろうとする話であるが、エディ・レッドメインが女装したり、ベン・ウィショーとキスしたりする映画ってところに、これでいいんだろうかと思ってしまう部分もある。

それでも、リリーの苦悩や性適合に至る心の動きが大変に分かりやすく描かれているし、彼を支えた妻のゲルダも、ハリウッド女優じゃなくてよかった。

ピアニスト

ハネケのピアニストを見た。

エリカはナイフの傷の痛みの先で、満たされなかったものを満たして生きることを選べるのか。

 

最後に演奏会があり、母親が期待と野望を語る。エリカは代理の演奏者で、自分の教え子の代理にすぎない。けれど、うまく演奏すれば誰かが聞いているかもしれないと母は言う。

エリカはそうやって育ってきた。自分のものではない生を生きてきた。なぜ強い母親の干渉の外に出られないのか自分でも分からず、40を過ぎても母と二人で暮らしていた。母親は娘の洋服を切り裂き、夜遅く帰る娘を病的に責める。娘が女性になることを阻止しているのだ。

エリカは、自分の性でありながら自分の性であると認めることができない欲望を持て余していたが、それでも自律を保つために自身の身体の欲望だけを一人で処理していた。自分の欲望を、家事をするようにてきぱきと処分する姿はかなしい。

その自律を乱したのは、若い青年の求愛だった。エリカが抑制してきた自分の中の「女性」を無視しきれず、それでも自分で管理できていたやり方をワルターに乱されないように、エリカはワルターをも管理しようとする。トイレでワルターのキスから逃げ、ワルターの上位に立とうとするエリカ。自分の欲望だけではなくワルターの欲望も支配しようとするエリカに、ワルターは抗議する。

しかし、エリカは本当はそんな自分を壊してほしいと願って、ついに彼を母親のいる家に招き入れ、嫌がる母親を締め出してワルターにその暴力的な願いを告げる。その表現は暴力的で倒錯的だったけれど、彼女の願いは、母親の一部でしかない自分を壊して救い出してくれる強い力だったはずだ。残念ながらワルターには狂気としか伝わらず、彼が去った家で、母親の一部に戻ろうとするエリカもかなしい。

エリカが望んでいたように、ワルターによって母親が部屋に閉じ込められ、本当に殴られレイプされたあと、エリカは母親の娘ではなくなった自分をどう受け止めたのか。

演奏会の朝、エリカはナイフを入れたポーチとともに会場へ向かい、壁に隠れて静かにワルターを待つ。彼女がナイフで断ち切ろうとするのは、母親なのか、ワルターなのか、自分の将来なのか。

ワルターに何事もなかったかのような挨拶をされて、エリカは自らの左肩の辺りをナイフで一突きする。エリカは教え子の代理の演奏はせず、流れる血を押さえながら演奏会場を後にする。

 

もしかしたら、あの夜のワルターの侵入は、エリカの夢だったのかもしれない。それはどちらでもいい。エリカは、絶対にワルターを好きになってはいけないと自分に言い聞かせながら、本当は生まれて初めて生きる喜びを感じている。その力に抗えるはずはないし、エリカはもう一度生まれる必要がある。再生のためのナイフであれば、苦しそうな顔をした結末のあと、良いことも悪いこともない透明な未来がスタートすることを私は願う。

 

 

 

カラヴァッジョ展

所用で東京に来ている。

到着後、食事系の店が開く時間に皇居近くの「いろは寿し」に入った。
天ぷらもお寿司も食べたい人用のランチで満腹以上になったので、神田の古書店を一軒また一軒と潰しながら、陽気の中、上着を脱いで神保町を一周した。
 
用事を済ませた後はホテルにチェックインして、西洋美術館のカラヴァッジョ展へ向かう。
上野の駅前にはビジネスマンも学生も家族連れも観光客も熟年夫婦も、あらゆる編成の人々が集まっていて、非常に楽しい。夕方に差し掛かる時間でも、薄いカーディガンで十分だ。
 
カラヴァッジョは、劇的に生々しかった。噴出する人間味は、光と影から我々が自由に感じ取れるようになっている。残虐なもの、滑稽なもの、倒錯的なもの、自虐もある。
それと、描かれているものが、実寸より大きく感じる。立体的だからか、色のせいか。
とにかく狂っていて楽しかった。
 
 
 
 
 
 

今年のハゴロモジャスミン

昨年、いろいろな園芸上の不備があり、結局1つしか咲かなかったハゴロモジャスミン。今年は、少しだけ盛り返して、結局4~5房ぐらいはつぼみがついている。

これまで少し高いところに置いて垂れるがままにしてあった鉢を下に降ろし、垂れていたツルを持ち上げて竹の棒に巻き付けた。棒は6本立てた。

花の香りが待ち遠しい。

 

レジ前の列の入り口と出口

最近、レジに一列に並ぶための誘導柵を見かけるけれど、どちらが入り口でどちらが出口か判ったためしがない。たいてい出口から入って「あっ」という顔をして、反対側へ回り込み、その間に前にひとり並ぶ人が入り、……というような展開が毎回ある。

立て看板が立っていて「出口」など書いてあるけれど、その向きが一方向で近寄らないと読めないときている。

これを妙案で解決するのが夢です。

 

VAIOのACアダプタ

仕事先にVAIOを持っていって、ACアダプタを忘れてパソコン本体だけ持ち帰った。翌日気がついた。

夕方頃、そこのオフィスにメールを入れたら、さらに翌日「探したけどなかった」という返事が来た。

さらにさらに翌日「探してくれてありがとうanyway」という返事を送った。

虚しく、VAIOの充電は抜けていくにまかせ、1週間が過ぎた。

 

VAIOを見殺しにするわけにも行かないので、今日、SonyオンラインストアでACアダプタを注文してやった。高かった。VAIOのストアじゃないのかって?Sonyでも売ってるんだよ。Sonyだと、My Sony Accountだかを持っていると送料無料なのさ。

明日、その仕事先を再訪するので、万が一その忘れ物のACアダプタが出てきたら、2本のACアダプタを持つマンになる。

 

追記:結局ACアダプタは出てこなかった。忽然と消えたACアダプタ。今どこで何をしているのかACアダプタ。注文した新品が届いたので、充電している。去る者追わずだ。ふーんだ。

著作権料

著作をあちこちに配布(つまり献本)した。

6割は返事があるけれど、4割は何もないものなのね。

献本したことがないと、著者が自分で購入して配布していることは知らないのかもしれない。だったら、同じ値段の菓子折りでも送った方が喜ばれるし礼状も来るよなあと思う。

今月、著作権料と呼ばれるものが振り込まれていた。献本した分より多い金額なので、気分もチャラになった。

 

今は日々の仕事であまり時間が取れない。来週末に始まるゴールデンウィークも連休というほどは長くない。時間があったらやりたいことがたくさんある。それを考え始めると、泣きたいぐらいだ。

Freibacker SAYAのドイツパン

同僚からフライベッカーサヤというドイツパンの店を紹介された。

小麦粉が挽きたてとか、ドイツで修行したとかの情報を聞いて、ぜひ行こうと思っていた矢先、ここのパンをもらう機会があった。

ドイツパンの良さは噛んだときに分かる。その魅力はズッシリした重み、ライ麦はじめ豊富な粉の種類、ギッシリの中身、チーズに合うこと、それから、低カロリーで胃に優しいこと。

食べやすいのはナッツやフルーツのピール、ドライフルーツなどが入っているタイプだけれど、黒くて四角くて重いのを3日ぐらい寝かせて、うすーく切って赤牛の絵が描いてあるクリームチーズを塗って食べるのも吉。