考え中

まったく公共性のない備忘録

タンスからお札が出てきた

そんなドラマみたいなことある?っていう話。

タンスの引き出しの中に、小物を入れるカゴを入れたまま、特に触らずに5年か6年経った状態だった。そのカゴをふとしたきっかけで出したら、その下から万札が出てきた。

どういう経緯でそこにお金を置いたのか、当然まったく覚えていない。タンス貯金のつもりは全くないし。

 

よく映画とか、ドラマとか、漫画とかで、本棚の本の間に挟んだへそくりを忘れたまま・・・という話を聞くが、子どもの頃は「そんなバカな」と思っていた。子どものころはお菓子やお小遣いを隠したら絶対忘れなかった。

ところが、だ。

 

いい年をしてくると、ポケットに入れっぱなしのイヤリングとか、コートのポケットから昨年ぶりに出てくる交通系ICカードとか、もちろんお札も変なところから数年後に出てくる。そうそう、お菓子も戸棚の中に隠したら食べ忘れて賞味期限が来ている。出てくれば良い方で、現時点では気がついてないけれど、おそらく忘れ去っているものもある。

 

忘れるのは「もの」だけではない。「こと」も忘れる。

返信を忘れたり、約束の時間を忘れたりは当然よくあるので、予約時間などは絶対カレンダーに入力しておく。昨日も美容院の予約時間をカレンダーで初めて知った。

 

買い物も、買い忘れ防止にメモしておくのだが、そのメモをどこに書いたのかが分からなくなるので、スマホのメモに統一している。それでも「生姜がないからあとでメモに入力しなくちゃ」と思っていると、メモを開いた頃には「何を書くつもりだったっけ?」となる。

 

ちょうどNHKで「認知症世界の歩き方」という番組をやっていて興味深く見たのだが、その興味とは認知症になってきたらどうしようというのもないわけではないけれど、むしろ人間の認知の仕組みが面白いというか、そういうたぐいの興味だった。

認知機能が正常に働かなければ自分の行動範囲の環境の認識が不適切にしかできないし、そうすると自分がその認識に従って動いていたのに、環境内を自由に動くことができなくなるだろうし、動けなければ認識力はさらに落ちるだろうし、どちらかというと正常に認識できている(老眼で認識力が落ちていると自覚できているなど含め)ことに驚嘆する。