はてダをWordPressへ移行するだけして、今後どうするか考えながら寝かせてある。記事も古いので公開しないならローカルで保管ということでもいいかと思い、日記ソフトを探してみている。
iOSのDay Oneもアカウントを開いてみたもののピンとこないままだし、やはりWindowsのPCで管理できるものがいい。
過去数年間うちの定番が魚沼産こしひかりで、いちばん買う米だったけれど、最近しばらく別の米を買っている。こしひかりは魚沼産以外も弾力と甘み、冷めてもおいしいなど、安定の良い米だが、他にも美味しい米がいろいろ開発されてきて、食べ比べが楽しい時代になった。
というわけで、昨年度買った米で思い出せるものを記録。
雪若丸
「つや姫の弟」がキャッチフレーズの山形の米。名前のとおり白くつやつやに炊けるし、粒が大きいので映える。食べると、まず香りがいい。おかずに負けない米の風味がある。つや姫より固めという巷の噂にもかかわらず、もちもちが過ぎない適度な柔らかさがあって、非常にふっくらしている。価格もお手頃。
コシヒカリの新潟県から新しい米。かなりもちもちして食べごたえがある。粘りと歯ごたえのバランスを売りにしているようだが、それほど粘りはないので、ややみずみずしさに欠ける印象。価格設定も高め。巷では2017年米に比べて乾燥していると言われているので、今後に期待。
だて正夢
ネーミングがアレで買うのをためらっていた宮城米。買ってみて良かった。大粒の食べごたえ、もちもち感とつぶつぶ感がいい。個性というより優等生という印象のお米だった。
里山の夢
広島の「あきさかり」はコシヒカリ系の米ということで、味も歯ごたえもコシヒカリっぽい。さっぱりしていて寿司米に最適とのことだが、そのとおり。
青天の霹靂
青森の米。食べやすくてオカワリしそうになる米。つぶつぶだし、ふわっとしているけど噛めるし、かといってもちもち過ぎないし、味も香りも調和していて、どんなおかずにも合わせてくる。ちょっとさめると、ものすごくもっちりする。こうして書いている今も食べたい中毒性があるかもしれない。
その後の米
いちほまれ
福井の米。光っている。ブランド米はどれもツヤが良いけど、これもかなりツヤツヤ。甘い。とにかく甘みが強い。味のクセがない。食感はふわっとしてつぶれやすいけど、もちもち。ちょっと冷めるとなお美味しい。
ただ、もちもちも度を超えないほうが良いなと思いながら食べている。
いちほまれ期間中だけれど、つや姫の300グラムパッケージ(約2合)が売られていたので炊いてみた。
山形のお米、旨味が際立つ。長さがある大粒で、噛むとつぶつぶ感がある。歯ごたえはあるけれどさっぱり感もあって、覚めると表面のつるつるが心地よい。
ひとめぼれ
岩手のお米。白い、甘い、大粒。食べごたえがある。桑名のアサリ時雨煮を載せて、出汁をかけて食べるのにピッタリの米。アサリしぐれ煮にはもちもちのご飯が合う。大好きな青天の霹靂も、アサリとひとめぼれの組み合わせにはかなわないだろう。
今日は道が混んでいて、車の燃費が悪いのでスッキリ走れる道に出てちょっとドライブしようと瀬戸方面へ向かった。長久手まではかなり混んでいて、どこそこで事故渋滞だとか、そろそろ年度末だとか、いろんな情報を見ながら進んでいると、瀬戸へ抜けるあたりで急に空いた道に出てよく走れた。
多治見まで出るか、途中の市之倉さかづき美術館まで行くか考えながら走っていると、ずっと手前の左折方向に道の駅の案内が出ている。瀬戸の道の駅なら陶器があるはずだと思って左折してみた。
大きな駐車場のある道の駅で、藤井聡太7段の好きな瀬戸焼きそばの旗が強風ではためいている。入って右側の方に品野陶磁器センターがある。瀬戸飯と書いてある食堂もある。ちなみに左の方は新しいトイレの建物と、野菜や園芸商品の販売所になっている。瀬戸牛や瀬戸豚、卵など直販のものがたくさんある。
お目当ての瀬戸物を見るために陶磁器センターへ入っていくと、付近の窯元の直販品が並んでいる。作陶体験もできるようだ。
けっこう新しいデザインの手描き商品が入口近くに、普段遣いの瀬戸物がその奥に、また左奥には高価な黄瀬戸や織部、さらに一番奥に昭和を振り返るレトロ瀬戸物の復刻のような品が置いてある。
お茶碗や小さい器、急須と湯呑が多い。大きめの鉢やマグカップなどはあまりない。蜘蛛の巣を図案とした幾何学的な絵付けの飯碗と、唐草文様の飯碗、同じ模様の湯呑、黄瀬戸風のコーヒー・マグの4点を購入した。
最近オンラインで砥部焼のアザミの水差しと、唐草のそば猪口を買ったのだが、そば猪口の瀬戸バージョンもあってもいいなと思って探したが気にいるものがなかった。
さらに食品売り場で大福と野菜チップを買って帰路に。
燃費の方は随分良くなった。
30年前に買ったMelbaの陶器の白いミルクジャグは、紅茶にミルクを入れたり、ソースを保存したり、酷使してきた。その取っ手の付け根あたりに、細長いヒビが入ってしまい、ショックを受けている。
まだ水漏れしない程度のヒビなので、現役活躍中だが、少しでも長持ちすればと思って検索して、牛乳で1時間煮込むというのをやってみた。効果が出ているのかどうかよくわからない。
製品はもう製造されていないようで、検索するとvintage milk jugとか書かれている。30年ぐらいで、なんでもビンテージ文化だ。
未来が見えなくて新天地へ自由な旅立ちをするお話はたくさんあって、どれも悲しい。80年代のダブリンは先行き不透明で、家庭も学校も大人も危うい。それなのにパワーだけのために理不尽に校則「黒い靴」を強要する。I fought the law and the law won♫という展開。
まずは母親が旅立って、あこがれの人も旅立った。
でも、彼女のために架空のバンドを実現させたコナーだから、きっとロンドンの未来も作り出すと思いたい。
「ONCE ダブリンの街角で」「はじまりのうた」ときて、この映画も音楽と恋と成長の物語である。
DURAN DURAN、The Crash、a-ha、The Cure、80年代ニューウェイブを中心に、オリジナルの曲もそれらしくできている。
昨夜、ちょうどBSでYMOをやっていたけれど、あの80年代からずいぶん遠くへきたもんだ。
急須は朱泥の小ぶりな普及品で、物がいいのかどうかはわからなかったけれど、使いやすそうだったのと、他の急須よりキラキラ反射していなかったのに好感をもった。
さっそくお正月用のお茶をいれると、まあこれが!おいしいの!どうやらこの1年ほど使用していた黒い急須はだめ急須だったらしい。なんとなくそういう気がしていたのだが!
正月の初茶は旧急須で入れたのだが、せっかく正月用に奮発した茶葉が今ひとつの味だった。同じお茶がここまで急須で変わるんですか!雑味を取って甘みや旨味を出している。
万古焼の方は安物を買ったにも関わらず、湯切れよく爽やかな使い心地だ。非常にいい買い物をした。これらの茶器で、もうひとつの茎茶の方も入れてみたい。
少し前に挫折して、もう一回頑張って見てみたウェス・アンダーソンの2012年公開映画。色っぽい少女と喫煙する少年が、大人社会から脱走して駆け落ちする話だが、途中の展開が特にないので30分ぐらいの短編として作ったほうがいい感じだったかもしれない。
土曜日の午後、意外と暖かくなったので、そろそろ飛来しているはずのカモを見に行った。ネット情報では牧野ヶ池にオナガガモが来ているということだったのだが、だったら勅使池にも来ているかもしれないと思って、始めて勅使池に行ってみた。
駐車場から池をぐるりと一周すると3キロぐらいある。
カモよりも岸辺にいるのは、オオバンである。オオバンが高い声で鳴いている。オオバンのコロニーみたいな一角もある。
その次にたくさんいたのはカイツブリだった。しかも子供のカイツブリがふわふわの羽毛をファサファサさせながら、水にもぐっては現れを繰り返していた。親のカイツブリも見たけれど、多くは子供だった。
遠くの方にはカンムリカイツブリもいたが、なかなか近寄ってはこなかった。警戒心の強いカモは池の中央辺りにいて近づけない。遠くて見にくかったけれど、たぶんヒドリガモやスズガモらしきカモだった。
比較的近くに来るのはカルガモで、しかも体が大きいのでよく見える。その他マガモも見かけた。
ソプラノ歌手としてカーネギーホールで歌うというFlorenceの奔放な夢をプラトニックな愛で支える舞台役者のSt. Clairの話。
メリル・ストリープが本気のオペラ歌手役で魅せるのはもちろん、St. Clair役のヒュー・グラントが浅いのか深いのか分からない変な人を好演していて、2人の演技が見どころの映画。
不治の病、親の遺産、自由奔放さといういかにもアメリカンなFlorenceに加え、なぜそこまで尽くすのか謎すぎるNYのイギリス人St.Clair。それが実在のカップルだったというが、初婚でもなく夫婦関係というのでもない。Florenceは梅毒を患っているのでSt.Clairは愛人のもとで夜をすごし、昼間はFlorenceに尽くす。映画ではFlorenceをmy wifeと呼んで、深い愛が献身的な支援の根底にあるように描いているが、実際にはマネージャーといった立ち位置だ。なんとなく、お金とまやかしの匂いも否定しきれない中に、それでも何かきらっと真実がある、それをヒュー・グラントならではの軽さがうまく醸し出している。
真剣なのにコミカル、それがマダム・フローレンスの人生だというなら、こういう形での映画化も正解なのかもしれない。
2014年公開。ケイト・ブランシェットとルーニー・マラがかわいい映画。ケイトはもうファンタジーにしか見えない。
アメリカ、ニューヨーク、50年代。新しい価値観が生まれようとする時代。
保守的な富裕層の奥様であるキャロルはゴージャスなファーコートを着てカツカツ歩く。オードリー・ヘップバーンのような前髪をしたテレーズが働く高級百貨店が2人の出会いの場となった。
LGBTの露骨な会話はなく、ほのめかす表現と視線の交錯だけで駆け落ちのような旅をすることになる2人。社会から受け入れられない背徳感は描かれているものの、物憂い美しさでかき消されてしまう作品だった。
バトンという長細いハード系のパンを食べている。他にもクロワッサンやソーセージパンなど、他の系統のパンも食べて満腹の夜。
明日のランチを買いに行ったのだけれど、今晩食べてしまったので明日はおにぎりだ。
最近病気の実話の映画ばかり見ているが、堺雅人の演技が素晴らしいので最後までしっかり見た。
タッチは軽いけれど内容は深刻なのでよけいに悲しくなる前半と、そんなに収束するものだろうかとしらける後半という内容だった。
淡々と描かれるほのぼのとした夫婦の日常の物語が繰り広げられ、その結末というか物語の最後に心温まりたいという人もいて、そういう人も満足できるようになっているのだろう。