考え中

まったく公共性のない備忘録

幸せな美術館はしご

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少し疲れている最近。

本当は仕事が溜まっているけれど、会期が残り少ない展覧会にぜひ行きたい。

というわけで、ジャコメッティと芦雪の展覧会をはしごした。ジャコメッティ豊田市なので車で1時間程度、芦雪は愛知県美術館なので通常は市営バスと地下鉄を乗り継いで徒歩で行くのだが、疲れているので地下駐車場を奮発してみた。奮発と思ったら、実は意外と公共交通機関より節約できた。

 

  • 「削ぎ落とした」がキーワード

ジャコメッティは2007年にロンドンではじめて見た。それ以来、矢内原伊作の「ジャコメッティ」を読んだり、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集にジャコメッティの制作風景を見たり、ジャコメッティってなんなんだと追ってきた。

 

セザンヌの企てを引き継ぎ、アフリカのシンボリックな造形や、日本のデザイン性豊かな画面づくりに影響を受けながら、「ヴィジョン」と名付けた「見え」を描こうとしたという。それは客観的な事実ではなく、しかし対象と見るものとのインタラクティブな「現実」である。

 

ジャコメッティというと、描いては消し描いては消し、休憩中も新聞紙やナプキンに線画を描き続け、「それ」や「そこ」の実際を写し取るために、余計なものを捨象して一点に集中したと言われる。その一点は、個性とは限らない。雑踏の複数の人間なら、個性を消してバランスに集中する。

 

北斎の模写もある。

北斎は正確な描写ではなく装飾的なバランスに向かいながら、対象の本質を描き出していたから。

 

  • 応挙と芦雪

芦雪のインスタレーション的作品が即興詩人みたいで、当時の場の雰囲気を一緒に持ち込んでいた。

応挙というすごい人が先生なので、芦雪は邪道みたいなイメージもあるのだが、江戸の文化が深まる時期に、たくさんの文芸作品を見て、鑑賞者として育てられた人々の目を楽しませるしかけがたくさんある。

決まりごとや堅苦しいことは置いといて、子どもが感じるように自由に描いている。しかし大人なので、その表現はアイロニーを含み、センスある笑いに繰り上げられている。

最初の方は下手くそな修行時代、最後は大成して重要な作品を任されたときのもの、最後にあの犬、あいからず体勢が非常にかわいかった。