考え中

まったく公共性のない備忘録

民藝 MINGEI — 美は暮らしのなかにある

白樺派柳宗悦を中心に、陶芸家のバーナード・リーチ、河井寬次郎、濱田庄司など、が1920年代の日本で民藝運動をおこした。暮らしの中で使われる道具が、職人によって洗練されて芸術の域に達していることを発見し、日本や世界の各地で収集した日常の道具を「民藝品」と呼んで再評価していった。これらの作り方や表現を学んで、独自のデザインに高めていった。

 

今回は、民芸館や陶磁美術館ではなく、名古屋市美術館に巡回してきている展覧会である。駒場日本民藝館に蒐集されている日本各地の陶磁器や、紬、絞り、染め物、織物など布製品、アイヌ琉球の道具や着物などの展示に加え、世界の民芸品も展示されていた。点数は多くはなかった。

 

いろいろに解釈できるので、多様な解説を読んで、民藝品それぞれを鑑賞しつつ、自分なりに考えてみた(ちょっと違うところもあるかもしれないが)。

いわゆるエキゾティックでオリエンタルな手工芸品を、白樺派的にいったん英国の目を通して再評価している。世界に対して日本の技を打ち出していくという目標も一方にはあっただろう。そのためには、日本的な手工芸の技を発掘して、日本的なるものの概念として整理しなければならない。

英国でArts and Crafts Movementが起こり、ヨーロッパでアールヌーボーとして変容し、アメリカでも広く受容されて発展したデザイン。その後に、日本でミンゲイムーヴメントが興り、思想としての民藝が固まっていった。

工藝や芸術、民藝などと関連する概念も整理されていったが、「工藝」という表現は少し曲者で、craftのことを指すようになったが、artなのかcraftなのかの区分は恣意的である。

 

いずれにしても、展示されている様々な収集品は、それぞれ元の道具としてのアイデンティティを持って生まれたものだ。これが民藝という価値づけによって別のまったく異なる素性の道具等とともに共通の認識下で管理されてきたし、運動は新たな概念と、実際の「もの」を生み出すに至った。

 

今回の展示では、「焼締黒流茶壺」という真っ黒な信楽焼が圧倒的な力を放ってで鎮座していたが、それは江戸期に出来上がった時とは異なる意味を持ってそこに置かれていた。

 

リーチらが滞在した小鹿田の小鹿田焼の釜や工房のビデオなども流れ、その伝統を引き継ぐ作家たちは、「民藝」の観点など特に持たない(あるいは持たないようにしている)ことが見て取れる。この地に伝わり、ここでしか手に入らない土を工夫して加工して、このやり方でしかできない日用品を作ってきたが、そしてそれに一定の吟侍はあるが、その価値を次世代に継げるものか、必要かどうか分からないというぐらいの距離感の向き合い方をしている。

 

会場を出ると、案の定、陶磁器や布製品などが販売されていて、ちょうど求めていた豆皿の理想的なやつがあったので、まんまと数点購入してきた。

ところで、以前にも書いたが、釉薬のかけ分けというおしゃれな江戸の技術、4色掛け分けとかのかわいいのではなく、あしゅら男爵よろしく真ん中から2色、色を半々というのがかっこいいと思うが、そういうのを売店に売ってほしかった。

 

 

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