考え中

まったく公共性のない備忘録

マリー・ローランサンとモード

巡回してきたマリー・ローランサンとモード展を見てきた。

 

 

曇っているのに湿気のために暑くて、できるだけ外に出たくない昨今だが、今日は夕方から用事があってどうせ出かけるということで、先に展覧会へ行った。

 

薄いグレーと淡いピンクのおしゃれな色合わせが心地よく、パリの1920年代の軽やかで活発な大人の女性のモードを感じることができた。ジャズやフラッパーがパリの裕福な女性にアレンジされて、気の利いた軽いおしゃべりのようなデザインになっている。ポール・ポワレの活動的な女性のモードみたいなのが、巧みに取り入れらている。

 

ローランサンの絵の中の女性の顔というのは、みんな同じように白飛びしているという印象だったけれど、実際見ると顔の造作の凹凸が巧みに色で表現されている。愛らしい口元の複雑な起伏なんかも、かなりこだわって描いているようである。

 

絵画もいいけれど、プーランクの「牝鹿」のバレエ衣装のデザインにもきれいなステップが映えるような足や頭のふわふわが心地よい。差し色にこだわりの柔らかピンクが使われている。

 

裏テーマの「女」がまた、どうしようもなく表れ出ている。幼い女の子ですら、もうどうしようもない女の感じを出しているのだ。大人の女性の絵も、女同士で手を取り合い、女性と女性が組み合わされたときのみに醸し出す雰囲気をうまく描いている。そういう関係みたいなのがパリで流行りだったというのもある。

 

ココ・シャネルとの仲はあまり良くなかったそうで、すでに売れっ子になっていたマリー・ローランサンが、帽子作りからちょっと売れた女を好きになるか?なんて考えながら、シャネルが結局受け取らなかったという肖像画を眺めた。

 

後半はシャネルの都会的なモードの展示やショーの動画があった。その特徴がそのまま、またローランサンの絵のなかに現れる。

時代を取り込み裕福な女性たちの好むモードや色を取り入れることに長けたマリー・ローランサンと、自立した女性っぽく成功するものの波乱万丈のココ・シャネル。

2人が同じ時代に同じ場所で作り上げたモードが、同時代の女性たちに爆発的に受け入れられたのだということが、見てみたら、よく分かった。