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まったく公共性のない備忘録

レンブラントは誰の手に

映画『レンブラントは誰の手に』公式サイト

『みんなのアムステルダム国立美術館へ』の監督、オランダのウケ・ホーヘンダイクによる2019年(2021年に日本)の作品。

 

レンブラントの絵画をめぐり、3つのストーリーが3つ(ぐらいの)レベルで交錯する。芸術として、コレクションとして、資産として、政治として、絵画は複数のレベルで評価される。絵を愛する所有者も、その絵の画風や技術が好きなのか、描かれた人物やその醸し出す力に惹かれるのか。美術界の人にとって、本物を見出すとはどういうことなのか。国家は絵画を自国の誇りやアイデンティティとして見ているのか、それとも資産価値として見ているのか。

レンブラント作品を通して、あまりにも多重に関わる人間と社会が、絵の価値の評価を難しくしていることを描いている。

 

評価の裏舞台がよく分かる映画でもある。

ストーリーの1層には、画商がコレクターからの信頼を集めるために、誠実に作品に向き合い、適切な評価を求める側面とその難しさが描かれる。ある日、画商のヤン・シックスは未登録のレンブラントらしき作品をオークションで見つけ、その真贋を誰に依頼すれば秘密裏にビジネスを進めることができるか悩む。ヤンは良い家柄(11世)の出で、芸術的な知識が高いが、駆け出しなので業界での地位に野心的でもある。この発見はヤンの画商としての地位を約束するだろう。

 

同時進行で、スコットランド貴族所有のレンブラントの処遇が描かれる。バックルー公爵は「読書する女」とともに育ち、彼女を家族のように感じている。

父が高いところに設置したこの絵を、もう少し身近に感じたいと思い、自分の城の読書室にこの絵を移動して、彼女とともに同じ部屋で読書をしたいと考える。この作品を欲しがるコレクターは多く、アメリカのビジネスマンも狙っているようであるが、市場には出てこないだろうと思ってはいる。所有者が十分に絵の管理をする財力のあるバックルー公爵だから。

映画の最後には、読書部屋で「読書する女」が作る静かで緊張した空気の中で、読書するバックルー公爵が映し出され、絵画ファンは羨望の目で見る(であろう)。

 

同時進行で、ロスチャイルド家の所蔵品が出てくる。相続税のために手放さなければならないレンブラントの大作で、点数が2点だが、夫婦を描いている対の作品である。所有者であるロスチャイルド氏(エリック)も、この作品とともに人生を過ごしてきた人で、手放し難いという気持ちがあるが、公の管理下で多くの人に見てもらえることにも価値を見出している。

問題は、エリックがフランスでこの絵を所有していたということである。オークションに出た作品を買おうとしたのは、レンブラントのふるさとアムステルダム王立美術館である。購入資金を広く募金で集め、あと少しで購入できそうな金額までなった頃、フランス政府が、この絵がフランスから外国へ出てしまうことを懸念した。絵の価値がわからない政治家も絡んで、ドラマチックな展開の結果、フランスがうまく立ち回り、ルーブル美術館アムステルダムの共同所有となった。

 

映画全体は、レンブラントの作品それ自体の魅力によって説得力のある作品になっている。

なお、複雑にストーリーが入り組むので、登場人物を覚えるか、屋敷や事務所の特徴を覚えるか、言語(スコットランド英語、フランス語、アメリカ英語、オランダ語など)で判別するか、なんとかしないと「これは誰の何の話?」となる。