考え中

まったく公共性のない備忘録

Twitter.comのエックス

 

あちこちに消しきれないTwitterの痕跡を残してXが動き出している。仕様や機能の変更案は何度か出てきたけれど、今のところ大変化はない。

 

InstagramFacebookのように自分を主張したり表現したりしていくスタイルとは違って、Twitterは社会問題の議論や芸能文化の批評の意見交換ができる場になっている。対面ではない議論は匿名性に伴う問題があるけれど、こっそり他者の意見を確認する大きな機会にはなっている。しかも即時性が抜群である。情報が最新なのだ。だから、検索サイトとしても機能している。

 

無秩序とはどういうことかという実践例でもあって、秩序維持に経費がかかってしまうのと、倫理規制をするならどこで線引するといいのかが難しいところだった。

倫理とは別の面でも、情報の新しさと引き換えに、推敲されていない情報が行き交う問題があり、ネットリテラシーが追いつかない状況である。リテラシー教育に落とし込まれたのはつい最近で、まだ十分ではない。

 

純粋な広報ツールではないのだから、集客して(バズらせて)お金を動かそうという観点だけでは本末転倒になる。広報はあくまでも副産物なので、そこで、企業も広告風ではなく一般のツイート風の広報をひねり出すようになった。広報文化としても面白い動きがあった。

 

ニュースや政治もTwitterで広まる。政治家が個人(を装って)利用したのも興味深い現象である。旧メディアがTwitterから取材する状況も増えた。Twitterだけが要因ではなく、写真や動画のクオリティが上がって誰でもメディア活動ができるようになった。

 

災害時の連絡網としては、かなり有能に育った。この機能はうまく継続してくれるといいが、しかしこの点も副産物的な機能である。ある程度の種類の人々(人種ということではない、社会的立場、年齢、性別、その他の属性がいろいろということ)が均衡を保って利用者としてアクティブな状態になっていなければならない。アクティブとはSNSが生きていて、成長し、変化していくことでもある。

 

言語変化にも影響が大きかった。Twitter文化から生まれた言語表現は多い。

使用された自然な会話の表現は、収集されて人工的に言語を生成するシステムの研究成果にもなりつつある。話されたプライベートな会話なんて個人間の手紙でも集めるか、録音して集めるかしないといけなかったのが、SNS、特にTwitterからは書き言葉ではない話し言葉に近い会話がテキストとして大量に入手できることになった。それがスマートな会話を生成するシステムになった。

ちなみに、そこからお金が生み出せるということも実証されつつある。

 

なんか思いつくまま書いてみたが、まだ違う面もありそうなので、補足するかもしれない。