<三重県庁舎>1丁目(13)
1丁目に移動してきて、広いところに出ると、バス停や食事の店などが見える。
その広場に面した大きな建物が三重県庁舎である。
明治の廃藩置県で、県政や社会制度が始まっていった。初期には既存の建物が利用されたが、すぐに県庁舎など官庁の建物が各地で建てられるようになり、そのスタイルも内務省庁舎(東京1873)に倣ったものとなった。三重県津市に明治12年(1879)に建設されたこの県庁舎も典型的なスタイルを持つ。
バルコニーが1階、2階の2層に設えられ、ぐるっと端から端まで歩いていける。
バルコニー通路沿いに様々な目的の部屋があり、半円の上部を統一した窓とドアが順に並ぶ。天井は格子状に組まれている。この写真は1階の右翼側。
部屋のひとつはシャンデリアのある広いホールのようになっている。式典などの催しに使われたのであろうか。
床の貼り方が独特のチェッカーになっている。
2回の左翼側から内庭を望む。松の木が良い演出になっている。
玄関のある中央のポーチも玄関口ポーチだけではなく2階が立派に張り出してバルコニーいる。
<鉄道局新橋工場>1丁目(12)
工場内に、昭憲皇太后御料車(写真)と明治天皇御料車が展示されている。内部は窓から覗うことしかできない。
師範学校令(明治19年)を受けて、三重県名張市でそれまで既存の建物で運営していた蔵持尋常小学校の建物が明治21年(1888)に建設された。
見た目は上の三重県庁舎を彷彿とさせる。同じ人物が設計している。大工経験のある三重県官吏である。
玄関ポーチには装飾的なひだのような造形の縁取りがあしらわれ、二階部分にはバルコニーがある。
玄関横には教室がひとつ残されている。移築されたのはこの部分のみだったという。