考え中

まったく公共性のない備忘録

ブランクーシ 本質を象る

アーティゾン美術館で開催中のブランクーシ展に行ってきた。

ブランクーシ展は作品を集めるのが大変そうなので、今回の機会に行けてよかった。

 

 

最初期の作品も少しある。ルーマニアからパリに出てロダンに認めれるも、塑像からブロンズ鋳造という手法の分業だったロダンの工房はすぐに抜け出して、直彫りの技で独特の形をつくり始める。

 

その後、時代の流行を片目に、独自の作品を展開していく。他のアーティストとの出会いで変化していく作品を追っていく展示になっている。特に、パリに出てきていたモディリアーニとの交流から、相互の影響が強く見られる。モディリアーニも彫刻家を目指して没頭していたが、その形の単純化の過程はブランクーシの取り組みと連動していたようである。キュービズムフォーヴィズムの時代の影響も感じる。アフリカの影響というように解説されている。さらにアールデコも感じるけれど、いずれの影響もそれほど言及されない。

 

その後、飛行機のプロペラや鳥の飛ぶ機能に魅了される時期になり、アトリエも移して鳥の表現を模索する。写真が多く残っており、撮影にもこだわりがあったという解説がある。マン・レイがアドバイスしていたという。

その写真作品もかなり展示されている。ブランクーシ本人が撮影した写真の中の作品と、眼の前の実物とを比べて見るぜいたくな展示室の一角もある。

 

デュシャンなどの協力もあって、ブランクーシはヨーロッパでの名声に先駆け、アメリカで受け入れられる。とはいえ、「空間の鳥」がアメリカの税関を通る時に芸術品ではなく工芸品であると判断され関税がかかることになったという。ブランクーシは裁判でアートを勝ち取り、ミニマルアートとしてアメリカで発展する。

 

抽象化を極めても、その抽象性は対象の本質(エッセンス)を象るものであって、展覧会タイトル「本質を象る」はそこを表現している。独りよがりな形象ではなく普遍性を求めたと言える。

 

アーティゾン美術館なので、照明や展示の間隔、展示の高さなど、抜かりなく完璧で、とても見やすかった。

展示方法で気になったのは、背景に色パネルを貼るという方法を取っていることである。この春にポンピドゥー・センターでも回顧展があったそうだが、最後期の鳥の展示方法をブランクーシの工房での展示を参考に、「空間の鳥」という長細い作品にボルドーの背景パネルを設置している。アーティゾンでもそのような感じにしてあって、影と二重に楽しめるようになっている。それと、豊田市博物館でいつも見ている「雄鶏」にも背景(青系)がついて、ちょっと雰囲気が変わっていた。

 

ブランクーシ展はワンフロアで、他の2フロアではコレクション展示をしている。

「空間と作品」という展示では、パリの彫刻作品をできるだけ集めていて嬉しかった。ドガロダンにはじまり、ボッチョーニ、アーキペンコなど。絵画作品も20世紀初頭の空気を感じる作品の展示があった。

さらに「清水多嘉示」の特集ということで、近代日本の西洋画が多く出ていた。青木繁を生で見れた。

 

アーティゾン美術館への経路は、それほど難しくはないものの八重洲口のどちらの方角だったかとかはいつも調べてしまう。八重洲中央から地下街(グラントウキョウとかいう)から、グランスタ八重洲とかいう地下街へ抜けて24番出口を探す。

この地下街にはランチにも良さそうな店があるのだが、時間がなくて散策できなかった。次回はもんじゃ焼きとか体験したい。

 

その後、武蔵境まで行くのだが、前日、当日とも遅延のマークが出ていて不安だったところ、正午前ぐらいの移動時間には通常運行に戻り、混雑もなく、座って移動できた。午後には晴れてきたし、予定通りにいってほっとした。

 

ニュースで最近よく映る都知事選のこれ。