考え中

まったく公共性のない備忘録

ちょっと腰を

重いものを持ち上げたときに、ちょっとだけ腰をグキっとした。

安静にしていれば問題ない軽度の症状だったが、動くとかすかに感じるグキッとした後の痛みがあった。これ以上動くと深刻な痛みを引き起こすようなリスクがあったので、できるだけ安静にした。

 

きっかけは重いものを持ったときだったけれど、その前日に徒歩で米を買って、買い物袋を肩からかけて15分ほど歩いたのも遠因になっているかもしれない。米を自力で(車や自転車ではなく)そんな長く歩いて運んだことはしばらくなかったので、足がつるほど疲れた。腰は特に異常なしだったが、もしかしたら軽いダメージを受けていたかもしれない。

 

動かないようにしていたので、今は軽快している。

墓参りとコーヒーの記録

昨日は父のn回忌の日だったので買い物先で菊を見つけて買ってあった。今朝、コーヒーをボトルに詰めて中村屋の月餅(木の実餡)とバナナを携えて墓参りに行った。いつもなにか忘れ物をして行ってしまうので、今日は忘れないようにチェックしたつもりだったけれど、ブラシ(たわし)を忘れたので掃除はあまりできなかった。雨のやみ間にうまくお参りできた。

 

墓参の記録である。

 

帰宅して、バナナとコーヒーで休憩していたら、注文していたアイスコーヒーが届いた。コーヒーが届いてから墓参なら、アイスコーヒーをお供えできたのに。

青梅どら焼き

そろそろつるバラの季節も終わりかけている。毎朝、花びらが落ちているので、切り花にして大きな花瓶、小さな花瓶と、分けてさしている。

 

 

今日は昼間の気温が28度ぐらいになり、さすがに暑くて冷たいお茶を作った。お茶のお供に昨日買った「青梅どら焼き」を食べたら、おいしかった。白あんに程よく青梅が混ざっていて、甘すぎず酸っぱすぎず、しかもその梅あんを挟んでいるドラ皮?(呼び方がわからない)の厚みが十分あって、あんと皮の比率も最適だった。加えて、かなりずっしりしていて非常に満足である。

水戸の「亀じるし」という老舗が作っているという。梅の加工は得意なお菓子屋さんという話である。見つけたら、また買いたい。

 

 

ソニー液晶テレビのアップデート

BRAVIAが突然アップデートをしますかと聞いてきた。インターネットコンテンツの証明書の期限が切れているので更新するというアップデートだそうだ。以前に書いた↓

mihalita.hatenablog.com

 

あと数ヶ月で12年になるソニーBRAVIA、機能というより証明書更新ではあるけれどアップデートした。もう少し新しいテレビと同じアップデート内容だったのかもしれない。

 

アップデートは、急にテレビ画面に表示された。すぐに許可すると、何度か再起動っぽい動作があった。最新版かどうかは番号で確認できる。

 

アプデ後にどうなったかというと、結局警告は出る。たぶん、更新すべき複数の証明書のうち、すべての期限切れの更新まではできなかったと推測している(が、わからない)。

 

いつもテレビをオンにすると、まずは接続しているステレオに切り替えますという警告と動作がある。次にソフトウェアが古いですという警告が出る。最後にUSBハードディスクへの接続をしますという警告と動作がある。この3段階にそこそこの時間がかかる。

 

キャンパスコンサート2024春

今年もキャンパスコンサートが催されるというので行ってきた。

 

 

地元の芸大卒のピアニストが2名で約1時間のプログラムを演奏した。クライスレリアーナまでが前半、カプースチンから後半で、アンコールは2人でストラヴィンスキーペトルーシュカ」を連弾した。

 

快活なバッハのあと、「月の光」以降は一曲づつとても詳しい解説をしてくれて、理解が進んだ。「金の魚」はそれほど良く演奏される曲ではないが魚と水の情景が浮かぶいい曲だ。ライブで聞くと動きの手応えがあって楽しかった。もうひとつ、めったに演奏されないベッリーニ清教徒は高音が気持ちいい。ピアノ版のペトルーシュカは最初からグリッサンドがあってお祭りの始まり感があり、速い踊りのテンポに低音が響いてかわいらしい。

 

平日の雨上がりの夜に、かなりの人が集まって良い演奏会だった。

一六タルトの個装

ゴールデンウィーク中は豊田に始まり、刈谷、高浜、愛知県美術館とあちこちアートの探訪をしたけれど、高島屋を巡回していた「椅子とめぐる20世紀のデザイン展」に行きそびれた。椅子を100脚も見る機会だったのだが、残念だ。

 

連休のあとは、やはり急に忙しくなり、緊張の日々である。

やっと週末になり、ほっとしている。

 

週末のうちに大きくなりすぎたハゴロモジャスミンを剪定する宿題があって、切っても切っても終わりのない作業に、右手がカックカクになってしまったので、作業は前半・後半で異なる日に分けることとした。

 

 

お疲れ休みに個装の一六タルトを食べた。

柚子味ではなく抹茶のカステラの中に普通のこしあんが巻かれているもの。

 

個装はありがたいけれど、あの一六タルトの甘さがない。ベトベト感もない。抹茶バージョンは柚子味でもないので、別物を食べているようだった。唯一、あんこの質感は愛媛らしかった。

 

それと一六さん、もう少し厚めにスライスしておいてくれてもいいよ。

コスチュームジュエリー展

愛知県美術館に巡回して来ている「コスチュームジュエリー:美の変革者たち シャネル、ディオール、スキャパレッリ 小瀧千佐子コレクションより」に行った。

 

そもそもの話として、「コスチュームジュエリー」という表現を知らなかったので、公式サイトで説明を読んでみた。

コスチュームジュエリー:美の変革者たち シャネル、ディオール、スキャパレッリ 小瀧千佐子コレクションより | 展覧会 | 愛知県美術館

 

 

分かったような、分からないような。

ポール・ポワレを知っていれば、脱コルセット時代のファッションという知識も手伝って少し理解は進むのだけれど、もう一歩踏み込んだ説明がほしい。

 

チケット情報サイトは、少し踏み込んでいる。

コスチュームジュエリーのチケット情報 - イープラス

 

20世紀初頭のヨーロッパのオートクチュールのデザイナーから始まり、需要が高まって職人が増え、その後アメリカで大量消費にも適応していくファッションジュエリーのことのようだ。それまでの貴金属、宝石など、高価で一部の人々のためのジュエリーが、より多くの層に普及していく一つの形だったのだろう。

 

実際に展覧会を見てみると、スカート丈が短くなり、動きやすくなった女性の衣服は、それまでに比べるとシンプルで、そこに装飾的なものを組み合わせることで完成するといった印象だった。洋服のデザイナーがジュエリーもデザインし、当時の人の生活様式に合うものだとしたら、仕事にも行けるし、ドレスコードがあるレストランや観劇などにも適した雰囲気を演出することもできるようにしたのかもしれない。

多くの展示物は首周りと耳の装飾をするジュエリーのセットになっていて洋服の胸元や顔周りの装飾を担う。それと、最近はあまり見かけなくなったが、「ブローチ」が多く展示されている。ブローチは服の一部のようだ。

 

愛知県の会場では、洋服も展示されているということで、確かにジュエリーだけ見るよち実際に装着した感じを想像するためにも服と一緒に見たほうが理解が進む。

 

エレガントに始まったコスチュームジュエリーも、アメリカに来て、さらにシュールレアリズムと融合したあたりでは、かなり美術的な方向へ突き抜けていた。展示物としては見応えがあった。

 

これまでジュエリーとコスチュームジュエリーを分けて考えたことがなかったし、自分の装飾品がコスチュームジュエリーなのか違うのか、それもよくわからない。今やコスチュームジュエリーは歴史として見れば良いのだろうか?

 

実生活を思い出してみると、普段使いと式典用などは少し異なる宝飾品を使う。幼少期、今とは異なる文化がまだ残っていた頃の母親世代なんかは、ブローチを常用していた時代があった。デザインはシャネルみたいなのではなく、ミキモトっていう感じの品だった。*1

 

このように「コスチュームジュエリー」という新たな概念を得て、その定義をつかみかけている段階である。

*1:いまブローチ(ピンバッジではなく)はあまり使わない印象だが、どうなんかな。そういえば、式典用のコサージュが、昨年はあまり売ってなくて、かわりに丸いブローチなんかを売っているのを見た。少しレトロな印象だった。もしかしたら再ブームになるのかもしれない。

宛名を徹底するようにと言われるが

出張でチケットなどを購入する必要がある場合、経費で払うために領収書や半券を提出することになる。

昨今入場チケットをオンラインで買えるようになり、支払いはクレジットカード、チケットは紙で発券しなくていいというケースも増えている。

 

インボイス制度がはじまって領収書の宛名が厳しくなったし、私の所属先は個人クレジットカードでの立替を禁止してしまった。そういうわけで、経費で精算するためには、立替時に現金で紙のチケットを買わなければならないことになる。

あるいは、コンビニで印刷チケットを発券してもらえるタイプの買い方をして、現金で払って、簡易領収書をもらうということになる。簡易領収書には宛名を省略できるはずだけれど、所属先はそれをゆるしてくれない。

 

面倒だなあと思っていたら、イープラスなどいくつかのエージェントでは、オンラインチケットを発行後に領収書をPDFで発行してくれることがわかった。自分で宛名を入力できる。それであれば、個人クレジットカードではなく、コーポレートカードを使って入金し、半券の代わりにオンラインチケットのプリントアウトを提出して、なんとかなるかもしれない。

 

 

連休の課題を終えないままで

振替休日の本日まで休む予定だが、明日から仕事したくないマンである。

連休中は国内をいろんな手段で一人旅をする人がSNSに投稿する時期で、それを見ながら架空の旅計画を妄想していた。飯田線で愛知県から長野県まで各駅停車に乗って景色を眺めるとか昔からあこがれている。

今はスマホで情報検索できるから、ガイドブックとか時刻表とか本をかばんにたくさん入れなくてもいい。もちろん時刻表の最初のページの路線図を見ながら移動するのも懐かしいけれど、Googleマップも同じぐらい楽しい。ヘッドホンで音楽を聞きながら、読書もしながら、景色も見ながら、7時間ぐらいあっという間という気もする。

 

連休中に消化したい課題がいくつかあったが、掃除や剪定など体を動かす系の課題はなんとか9割ぐらいはこなせた。フィットネスアプリで歩数などを見ると、それほど動いたことになっていない。しかし腕が筋肉痛になる程度には動いた。いつもヘッドホンとスマホで音楽を聞きながらやっているので、iPhoneのバッテリーが弱ってきた。そもそもラジオを直接聞けばいいのに、アプリ経由でBluetoothで飛ばしてステレオ再生という回りくどさが問題かもしれない。

課題の話に戻り、一方、頭を使う方は面倒でまったく手を付けていない。その焦りの裏返しか、旅に心が持っていかれる。

 

モッコウバラの枝が広がってガスメーターなどが隠れてしまったので、強めに剪定。まだ咲いている花は拾って花瓶へ。

剪定のとき、隣にあるツルバラの枝が複雑に絡んでいるところで、間違えて切り落としてしまった枝についていた蕾も花瓶へ。

花瓶では開かないので、このあとドライフラワーにしてみた。

 



流出する日本人

一般書を読んだら読書記録を、という方針なので、GW中ぶらぶらと読んでいたものを記録する。

 

流出する日本人―海外移住の光と影
大石奈々 著

中公新書 2794

 

目次
序章  日本人の海外移住の歴史
第1章 日本の人口減少と世界の移民政策―移住をめぐる構造変化
第2章 若者たちの海外移住―ワーキングホリデーの光と影
第3章 「自己実現」と「生きやすさ」を求めて
第4章 日本が抱えるリスクと不確実性
第5章 移住先の選択―文化から税制まで
第6章 海外移住の影―永住のハードルと移住後のリスク
第7章 日本の未来と政策の選択肢―誰もが住み続けたい日本へ

海外移住の諸相を、歴史、文化、社会、政策、経済などの面から多角的に掘り下げている。データとインタビューの客観情報から考察しているので、海外移住ノウハウ的な本ではない。

 

移住と言っても、そのときの日本の文化的、経済的、政治的、国際的要因によってずいぶん性格が異なることは序章ですぐに分かる。日本という国を通時的に見る場合、こういう視点で考えたことがなかったので、いろいろ考えが整理できた。

 

どういう層が移住するのかという点も、若者なのか、引退後の世代なのか、女性なのか、それぞれの移住の要因や背景は決して意外な情報ではなく確かにそうだと納得するのであるが、日本という国が現在どういう状況にあるのか、移住という現象に反映される日本という国を、こうして改めて見る思いだった。

 

目的がはっきりしている経済や教育などの移住から、日本から抜け出したいといった精神面の要因による移住まで、背景も様々である。駐在家族のような自分の意思ではない移住もある。それでも移住先での生活基盤が築かれ始めると、移住者にとって不公平な政策や制度だったり、制度に穴があったりという問題もある。

翻って日本に住むということはどういうことなのか、どういう利益・不利益があり、何を我慢して何を実現させることができるのか、そういう点にも目を開かれる。

 

ワーホリについては、一部テレビ報道で、豪州でかなり稼げるなどの印象を作ってしまっていたが、実際には(当然であるが)そんなわけないばかりか、うまい話に引っかかるケースもあることも、根拠とともに示されている。

 

少々悲観的に分析されている部分もあるが、移住とはそもそもリスクを伴うものである。それでも移住をするならば、その動機は決して小さいものではない。

ヤマザキマリの世界

 

刈谷市美術館で「ヤマザキマリの世界」のちらしを見つけた。「高浜市やきものの里かわら美術館」で開催中である。刈谷市美術館からは車で20分ほどの、まあまあ近いところにある。しかも両館入ると半券で20%引きになるという。

 

かわら美術館には去年の夏休みにはじめて行った。そのときは展示会もなく、無料展示の瓦を堪能した。

 

さっそく、かわら美術館へ向かう。ちょうど昼時だったので、かわら美術館の一階にあるフレンチ(だと思われる)レストランへ行ってみた。予約がないと今日はもう…と言いかけて「お一人様なら」と入れることになった(ラッキー)。

 

前菜、スープ、パン、サラダ、魚料理(今日はグラタン風のキタアカリと魚介)、デザートとコーヒーまで出てきた。ちなみに予約するとローマ風のコラボメニューやフルコースメニューもあるらしい。イタリアンレストランなのかな。

 

さて、ヤマザキマリ展の展示室は2階で、中に入るとヤマザキマリの声が聞こえる。まさかの講演中かしらと思ったが、ビデオ上映されている話し声だった。

展示は、テルマエ・ロマエの手描き原稿や、コミックの、あのふざけた各表紙など、漫画原画はもちろん、美術を志す学生時代の作品や、商業デザイン、山下達郎アルバムジャケットなど手広く手掛ける作品が見られる。

 

↓昨年訪問時の記録。

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new born 荒井良二展

刈谷市美術館で「new born 荒井良二:いつも しらないところへ たびするきぶんだった」が始まっている。刈谷市美術館は良質な絵本作品や関連展示を特徴とする良い美術館だが、それほど何度も行っていない。絵本を嫌いと思ったことはないが、どこか信用できないというか、たぶんおおかたの絵本に馴染めない人間なんだと思う。

 

この展覧会に対しても、会場で最初の作品を見るまでは、それほど心を開いてはいなかった。

最初は『あさになったので まどをあけますよ』という絵本の表紙である。表紙に続いて一連のページに描かれていた原画が続く。窓を開ける子どもたちが次々に描かれ、その視界に映る景色がそれぞれ挟まれている。窓の外で犬が笑っている。日常的なのに衝撃的な風景である。子供の絵本に対する不信感はいっさい感じない。

景色のどこかに窓を開ける子供がいるし、それ以外の人や動物もいる。絵の中にたくさん楽しみが仕掛けられていて全部は堪能できないほどである。小賢しい仕掛けではなく、世界観の鍵となるモチーフや遊び心である。展示会場内のあちこちで、そういったモチーフや企みに気づいて「あは~」と明るい驚きと納得の声が聞こえる。

 

もやっとした輪郭のないプリミティブな画風、原色が溶け合うような色選び、ゆらゆらとあいまいな筆致なのに、見事なデッサン力と色彩感覚で写実的とも感じられ、描かれている人も景色も架空なのに確かな存在感がある。

架空ながら親しみ深いのは、昭和の時代の暮らしや、ラテンの国々、東欧の山岳地帯、こけし、楽器、スカーフ、お祭りの屋台などが基盤となった架空の民族の文化がイメージとして体系的に創造されていて、”しらないところ”だけれど、懐かしいところへ”たびするきぶん”になるからだろうか。

昔、美術館で見た絵や、昔の絵本に出てくる絵が遠い外国の風景のようでもあった。立体作品も充実している。美術館敷地内の茶室・佐喜知庵にも展示がある。掛け軸やふすまの絵、和菓子のデザインもしたのか。

 

じっくり見ないとみつけられないものが描き込まれているので、手にとってじっくり眺めたいと思ったけれど、印刷された図録や絵本では何かが失われていた。持ち帰ることのできない、遠い、けれど必ず今もそこにある国のことだと思って何も持ち帰らずに帰ってきた。

 

アシナガバチが巣を作ろうとしていた

モッコウバラが落ち始めたので掃除をしていたら、ハチが来た。そういう季節かと思って家の中へ入ろうとしたら、ドアの外側にアシナガバチが巣をせっせと建設している。

 

まだ、今朝取り掛かったばかりと見えて、最上部のみでてきているが、巣の形はしていない。ハチは1匹だけだし、巣も巣の片鱗サイズなので、さっそくハチスプレーで追い払って巣も撤去した。

 

もうかなり前の話だが、実家の庭に大きな巣ができたときは、まだハチスプレーもない時代だし、アシナガバチも知らなかったので、対応が分からず巣の下で蚊取り線香を炊いた。ハチ5~6匹が庭の中を大きな音を立てて大騒ぎで飛び回った。それが怖くて、かえってどうしてよいのかわからなくなった。しかも煙を嫌がったハチが1匹家のなかに入ってしまった。それも、家で蚊取り線香を炊いて追い出した。

 

翌日、ハチは巣から逃げた模様でいなかった。そこで、棒でつついて落とした。その年はほっとして、そのまま何もなく過ごした。

 

しかし翌年、ハチは同じ場所に戻ってくるらしく、同じような位置に2匹で営巣していた。そのときには、もう私も知恵がついて、さっそく虫のスプレーをかけて追い払ったあと、さっさと巣に紙袋をかぶせてもぎ取った。その後は二度と現れなくなった。

 

今はハチのスプレーが効くが、自分まで喉が痛くなって困る。

髙木竜馬ピアノ・リサイタル

W.A.モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調トルコ行進曲付き」 K.331
S.ラフマニノフ:幻想的小品集より 前奏曲「鐘」嬰ハ短調 作品3-2
S.ラフマニノフ=江口玲:パガニーニの主題による狂詩曲 作品43より 第18変奏曲 変ニ長調
P.I.チャイコフスキー:6つの小品より「主題と変奏」ヘ長調 作品19-6

E.グリーグ:抒情小曲集 第5集より「夜想曲ハ長調 作品54-4
C.ドビュッシー:ベルガマスク組曲より「月の光」
R.シューマン:謝肉祭 作品9

 

アンコール曲

シューマン トロイメライ

ムソルグスキー キエフの大門(展覧会の絵

 

このプログラムが聞きたい曲ばかりだったので演奏者を調べたら髙木竜馬といいうNHKアニメ『ピアノの森』のピアノを担当していた人だった。それなら間違いないと思ってチケットを取った。

 

サラマンカホールは遠い。電車で岐阜まで行くだけでも遠いのに、そこから30分ほどバスに乗れという。全行程で2時間かかるし交通費もかかる。今週のはじめには雨予報も出た。

GWなので渋滞もありうるし、電車のつもりだったけれど、昨日から電車の遅延ニュースがあったりして気になったので、今朝になって気が変わってドライブすることにした。車でも2時間かかる。GW初日の2時間ドライブは心配していたほどではなかったけれど、連休ドライバーは平日ドライバーとは違う人達なので、かなり気をつけて走った。

 

さて、コンサートは、ちょうど新譜が出て1つめのリサイタルだとのこと、Metamorphoseというアルバムである。今日のプログラムがすっぽり入っていて良い選曲だったので発売日にApple Musicで買ってみた。

それを往路のカーステレオで流しながら行った。

 

演奏前にかなり詳しいプログラムノートを語ってくれる。最初のモーツアルトはアルバム曲ではないけれど、ある理由で次の「鐘」にいいつながりだとのこと。前半最後はチャイコフスキー19-6で、かなり単純な主題から始まって、快く変奏が終わった。

 

後半はグリーグ夜想曲夜の音楽続きで月の光、シューマンの「謝肉祭9」はこのリサイタルがなかったら向き合うこともなさそうな曲だったが、向き合ってみるととても面白い。1曲なのか20曲なのかわからないような曲だが、アルバムでは22曲扱い(スフィンクスと間奏曲もカウントして)である。

私自身はワルツが前半と後半で都合2回挟まれるのを合図に、今どのへん弾いているかしらんと感じるのであるが、御本人の解説では別のある曲を合図にどの辺弾いているかを感じてくれということで、親切にも演奏前にその曲の予習演奏をしてくれた。

 

アンコール2曲目で突然のムソルグスキーが来た。唐突かと思ったけれど、ラフマニノフの「鐘」のあとで、鐘つながりだし、なにより「キエフの大門」は素晴らしい曲なので、生演奏が聞けて大感激だった。

 

コンサートもよかったけれど、サラマンカホールがすごく良かった。音響が神がかっていた。たぶんちょっと無茶しても受け止めてくれるぐらいの良いホールだった。