考え中

まったく公共性のない備忘録

勅使池でカモ観察

土曜日の午後、意外と暖かくなったので、そろそろ飛来しているはずのカモを見に行った。ネット情報では牧野ヶ池にオナガガモが来ているということだったのだが、だったら勅使池にも来ているかもしれないと思って、始めて勅使池に行ってみた。

駐車場から池をぐるりと一周すると3キロぐらいある。

カモよりも岸辺にいるのは、オオバンである。オオバンが高い声で鳴いている。オオバンのコロニーみたいな一角もある。

その次にたくさんいたのはカイツブリだった。しかも子供のカイツブリがふわふわの羽毛をファサファサさせながら、水にもぐっては現れを繰り返していた。親のカイツブリも見たけれど、多くは子供だった。

遠くの方にはカンムリカイツブリもいたが、なかなか近寄ってはこなかった。警戒心の強いカモは池の中央辺りにいて近づけない。遠くて見にくかったけれど、たぶんヒドリガモやスズガモらしきカモだった。

比較的近くに来るのはカルガモで、しかも体が大きいのでよく見える。その他マガモも見かけた。

 

池を一周して、久しぶりにカフェで読書をした。月曜の仕事に必要なものを2つぐらい読んで、買い物して帰途についた。土曜の午後のカフェは混んでいたけれど、5時を回ると空いてきて、家の書斎より快適に集中して読書ができる。

帰宅すると書斎に入らずに居間のソファーでうたた寝して、結局夜更かししてしまうので、なかなか読書が進まない。やはりカフェ勉が要るのかしら。

 

 

マダム・フローレンス! 夢見るふたり Florence Foster Jenkins

ソプラノ歌手としてカーネギーホールで歌うというFlorenceの奔放な夢をプラトニックな愛で支える舞台役者のSt. Clairの話。

メリル・ストリープが本気のオペラ歌手役で魅せるのはもちろん、St. Clair役のヒュー・グラントが浅いのか深いのか分からない変な人を好演していて、2人の演技が見どころの映画。

不治の病、親の遺産、自由奔放さといういかにもアメリカンなFlorenceに加え、なぜそこまで尽くすのか謎すぎるNYのイギリス人St.Clair。それが実在のカップルだったというが、初婚でもなく夫婦関係というのでもない。Florenceは梅毒を患っているのでSt.Clairは愛人のもとで夜をすごし、昼間はFlorenceに尽くす。映画ではFlorenceをmy wifeと呼んで、深い愛が献身的な支援の根底にあるように描いているが、実際にはマネージャーといった立ち位置だ。なんとなく、お金とまやかしの匂いも否定しきれない中に、それでも何かきらっと真実がある、それをヒュー・グラントならではの軽さがうまく醸し出している。

真剣なのにコミカル、それがマダム・フローレンスの人生だというなら、こういう形での映画化も正解なのかもしれない。

 

キャロル

2014年公開。ケイト・ブランシェットルーニー・マラがかわいい映画。ケイトはもうファンタジーにしか見えない。

 

アメリカ、ニューヨーク、50年代。新しい価値観が生まれようとする時代。

保守的な富裕層の奥様であるキャロルはゴージャスなファーコートを着てカツカツ歩く。オードリー・ヘップバーンのような前髪をしたテレーズが働く高級百貨店が2人の出会いの場となった。

LGBTの露骨な会話はなく、ほのめかす表現と視線の交錯だけで駆け落ちのような旅をすることになる2人。社会から受け入れられない背徳感は描かれているものの、物憂い美しさでかき消されてしまう作品だった。

 

時代屋の女房

BSでやっていた80年代の日本映画をなんとなく見た。夏目雅子主演で沖田浩之も出ている。渡瀬恒彦津川雅彦朝丘雪路と、ここ数年で、2000年以前に活躍したスターは次々他界して、この映画に流れる価値観も古い。

原作は82年、直木賞受賞作の映画化である。こうやって時代が変わり、男の都合で形成された女性観も変遷して35年を経てマシになり、逆にその頃は思ってもみなかった別の闇を含む社会になるのだなという気持ちで見た。

 

 

 

美味いパン:フランス料理のフチテイ隣

Pain | Le Sixieme Sens

バトンという長細いハード系のパンを食べている。他にもクロワッサンやソーセージパンなど、他の系統のパンも食べて満腹の夜。

 

明日のランチを買いに行ったのだけれど、今晩食べてしまったので明日はおにぎりだ。

ツレがうつになりまして。

最近病気の実話の映画ばかり見ているが、堺雅人の演技が素晴らしいので最後までしっかり見た。

タッチは軽いけれど内容は深刻なのでよけいに悲しくなる前半と、そんなに収束するものだろうかとしらける後半という内容だった。

淡々と描かれるほのぼのとした夫婦の日常の物語が繰り広げられ、その結末というか物語の最後に心温まりたいという人もいて、そういう人も満足できるようになっているのだろう。

 

 

 

 

 

伊予

  みかんジュースが出てくる蛇口で有名な松山の空港にて。

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滞在中は、みかんジュースはもちろん、「たると」も坊っちゃん団子も鯛めしも食べた。

 

坊ちゃん団子はあちこちで買えるし、店内で食べれるところもある。明示創業のつぼやさんは、坊つちゃんが団子を食べた店といわれている。

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坊つちゃんは団子を2皿、蕎麦屋で天ぷらもたくさん食べていたのを生徒に目撃されて、その後からかわれたり、蕎麦屋と団子屋へ立ち入り禁止になったりしたっけか。

 

一六タルトしか知らない他所者用に、土産物屋にはハタダや六時屋のタルトは個装のも売られていてすぐに食べ比べができる。

一六タルトはゆずが効いているけれど、ハタダのゆずより栗で売っている感じだ。六時屋タルトはかなりふわふわしていて、手がベトベトになることがない。

 

坊ちゃん団子もそうだけれど、この辺りはこしあんに力を注ぐ地域なのか、温泉街からさらに内陸へ入った砥部の方へ行ったときに、もう少し違うまんじゅうに出会った。

写真はないけれど、おくま饅頭という。久万高原という地域だから「おくま」なのかな?と思っていたら、人の名前だとか。商標の関係なのか「おこう饅頭」「おこう万寿」など、おこうさんバージョンもある。どれも同じ饅頭に見える。

それが、小豆の皮を向いて中身だけでこしらえた団子で、薄皮というより皮はないといってもいい感じのあんころである。だからあんこと言っても白っぽい。

口に入れると非常になめらかでみずみずしく、羊羹と水ようかんの間ぐらいの食感で、かなり印象的だった。この辺は山田屋まんじゅうが有名だしうまいけれど、それよりおくま饅頭を勧める。

 

砥部では絵付け体験をした。観光用の筆が思うように使いこなせないので、本気の人はマイ筆持参で行くといい。

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絵付けをしてみたら、作品を見る目も変わる。いろんな窯がそれぞれの特色を出しているが、気に入ったのは伝統的なつる草模様を、一筆でなめらかに勢いよく描いているこのタイプだった。↓

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自分用のお土産として購入、飯を盛ってみた。

 

それにしても、次回行く機会があれば松山城と、あとは八十八箇所のうちの一寺ぐらい試したい。

LA LA LAND

2年前に見たい見たいと思っていたけれど、結局今始めてみた映画。おしゃれな映画だし、結末もピリッとからい。

賛否両論あるのは頷ける。スターに憧れ、オーディションを受けまくり、才能がないと諦めかけたときに力をくれた彼とは今はもう…

話の筋だけ聞くとアレだけど、華やかな世界は浮き沈みがあると分かっていても諦められない、それを軽妙な音楽とダンスでうまくまとめてある。

 

Still Alice

若年性アルツハイマーが発症した将来有望な大学教授をジュリアン・ムーアが演じている。『アリスのままで』の邦題でその意味が分からないけれど、英語タイトルは、自分が自分ではなくなる、自分であると自覚できないようになることを表そうとしたタイトルだと思う。

ジュリアン・ムーアは美しすぎるので、病気の醜さがよく分からない部分も多々あるものの、失う恐怖がつらそうなことは伝わった。家族も美しすぎるのだが、大変そうだ。

病気の進行は段階的で、思う以上に急速で、アリスは、ある症状が出たら自分で自分をコントロールできなくなるだろうと考えて、それを自分ではなくなる区切りみたいなものとして設定している。その時は服薬自殺しようと準備していたが、その準備虚しく病気に命を救われる。

私だったらうまく死にたいと思うので、服薬をしくじった瞬間は残念でならなかったが、映画の趣旨は、救われたということなんだろう。

 

『アイリス』を思い出した。伝記映画で、監督の奥さんであるアイリス・マードックの半生を描いている。ケイト・ウィンスレットが若き日のアイリス、ジュディ・デンチが年老いてからのアイリス、ジム・ブロードベントがそれを支える旦那だが、若き日を ヒュー・ボナヴィルが演じているという、今思うと豪華な映画だった。

 

ファブリック・デュ・スリールの桃パフェ

http://dusourire.com/

桃のパフェを食べてきた。桃まるごとぽっかり載っている。

それがうまいのはもちろん、クリームもカスタードもいいもので、中からシャーベットとアイスが出てくる。

 

桃パフェは7月と8月だけとのこと。

かなり映(ば)えていたけど、iPhoneを持ってなかった。

しかし映像より味わいに気持ちを集中して、帰宅後も、果汁の余韻を楽しんでいる。

 

 

WX03バッテリパック膨張

WiMAXのポケットワイファイwx03の蓋が閉まらなくなった。バッテリーが膨張しているのだ。プロバイダはUQ横流しサービスなので対応はUQまかせになっている。

NECに電話したら1年保証で、私のは1年と5ヶ月経っているので、保証できないという。

一方のUQが無償で新機種に交換してくれるのは22ヶ月からで、5ヶ月先だ。

こんな保証期間の谷間にはまったのは初めてじゃない。前回のnadのときもファームアップで接続できなくなり、プロバイダは機器の交換などをしていない(2年縛りの契約なのに)というので、アマゾンで適当に注文したW01で半年ぐらいやりすごした。

それを出してきて今接続している。WX03のバッテリはしばらくお休みさせて、運良くしぼんだらまた数ヶ月だけ使おう。

いつも夏のお盆の時期にWi-Fi問題が起きる。明日から8月だ。

椅子考

椅子に夢中だ。椅子は面白い。構造、機能、姿、デザインや色、素材、サイズ感、何もかもがひとつの椅子に集約されて椅子宇宙といいたくなる。

椅子は単体では評価できない。椅子と椅子とが調和したり、椅子と他の家具や部屋の雰囲気が調和したりして、バランスや緊張を作る。いい椅子は環境との関係の中にある。捨てようと思っていた椅子が新たな環境で輝くときもある。他の家具に比べても、椅子の他への依存度は高く、関係の中で評価される。

市場に出回る椅子には数にもデザイン数にも限界があるが、椅子の可能性は広い。少しの違い、脚の形状や座椅子の色、背もたれの湾曲、素材、何億万通り以上の組み合わせが可能であり、それらはまだ試されていない。

椅子の欠点は、いや、欠点ではないのだけれど、現実的な問題として高価格ということがある。椅子をあまく見ていると、椅子ごときにこんなに払えるかという気持ちになる。しかし椅子を考えれば考えるほど、椅子の価格は他の家具よりも高くなってしまうのは致し方ないことと分かってくる。

かといって、椅子は必需品というほどでもない。なければないでなんとかなる。それが椅子の依存的な本質でもある。

洗濯槽の洗浄

洗濯機を長年使うと黒カビが出て洗濯物につくというのは話として聞いたことがあるけれど実際に体験したことがなかった。このたび初めてそれに該当するかもしれない現象を体験して、洗濯槽クリーナーと呼ばれる製品を買ってきた。昨夜それを洗濯槽に1本ぶちこみ、「槽洗浄」というコースを選んでスタートしてみた。夜寝る前になってもまだ洗浄していたので、なかなか長いものだなと思ってそのまま寝た。夜の時点では時間の表示もなにも出ていなかった。起きてみると、洗濯機がまだ活動中で、ただし残り時間が表示されていて、71分となっていた。

調べてみると11時間~13時間かかるものらしい。

朝食後についに洗浄が終わった。中を確認しても見てわかるような変化はない。フィルター内のゴミが漂白されていた。とりあえず洗濯してみるか。